2009年10月2日金曜日

02Fr. 注射?

東北大のHNさんが研究所を訪問された。セミナー前に少しお話しさせてもらった。セミナーは、パルス強磁場を使ったx線や中性子散乱による構造研究の話だった。分野が違う話だったが興味深く聞かせてもらった。多くの人が聞いていて、盛況だった。

来週から原子炉が動くのでその準備で、試料セルの洗浄や周辺装置からの磁場の影響の確認などを行った。

夕方、インフルエンザの予防接種に行った。家内が言うには予約なしでできると言う事だったのに、行ってみたら、僕だけ予約が要るとか言われて予防接種できなかった。来週に持ち越した。

その後研究所に戻り磁場チェックの続きを行った。

2009年9月30日水曜日

30We. 申請書

午前中は昨日から今日にかけて届いていたメールの整理。AFやJSGと打ち合わせなど。

午後はオークリッジの中性子の申請書の審査をしようと思い申請書を読んだ。その他諸々の事をやっていたら一日が終わってしまった。

帰り際AFからCAD-likeな図面を貰い、自宅でどうやってパソコンで読み込んで書き直すかを考えた。結局、先方のソフトでpdfにしてもらって、それをillustratorで読み込んでいじる、と言うのがお金がかからない方法かも。ちょっと面倒だけど数時間ですむでしょう。明日はこれをすませてしまおう。

2009年9月29日火曜日

29Tu. Delaware

University of Delawareまでは車で2時間ちょっとの距離でした。

Center for Neutron Scienceというのがあるらしく、うちの研究所と協力しているようです。うちの研究所からも13人もの人がDelawareに集合しました。そのうち発表したのは3人で、僕もその中の一人。昼ご飯直前の発表でしたが、発表自体は好評で、今日は質問もうまく受け答えができていたようです。とりあえず肩の荷が下りたのですが、発表直後は少々胃が痛くて(しゃべったとき呼吸の仕方が下手だった?)昼ご飯を余り食べれませんでした。

午後はずっと他の人の発表を聞いていました。いくつか面白い話もあったけど、NSE的に面白いものは余り見つからなかった。それよりも自分の研究に興味を持ってくれた人がいろいろ相談したいと言って来てくれたのは良かった。

2009年9月28日月曜日

28Mo. ちょっと緊張

本当は、Oxfordのこととかもう少し書きたかったんだけど、アッッッッッと言う間に時間が経ってしまった。更新できず、読んでくださってる皆様すみませんでした。

この間に、先日Physical Review Eに受理されてた論文が出版になりました。10年前、HSさんと二人で論文を書きました。HSさん曰く「自分にとって初めてボスとの共著でなく学生との力だけで論文にしてみようと思った論文」とのこと。それから10年。ずっとお世話になったけど、初めて一人でやってみようと思った論文。奇しくも同じ雑誌に受理されました。考えてみればこの10年、いろんなことがありましたが、ようやくここ迄来れた、という感じもして、自分にとっては記念になる論文、と言う位置づけになりました。

YSさんの論文についての議論が繰り広げられていたのですが、乗り遅れ、しかも質問してみたらよくわからないことがある事に気がついて皆さんにコメントできずに考え込んでしまいました。まだ返事できず。申し訳なく思っている今日この頃。

明日はUniversity of Delawareでちょっと講演。一応準備はできているつもりだけど、途中でとちったらメロメロになりそうで、若干緊張がないではない。もっとも、昔に比べれば緊張の度合いがかなり違うのではあるが。とにかく、ボスに恥じかかさない様にしっかり発表しなくちゃ。英語発表の場合、原稿頼りにしていると、途中でとちったらまぁ、もう、どうしようもない事が多いので、原稿は書き取らず頭の中で整理しながらしゃべる様になりました。明日もその線で。

2009年9月16日水曜日

13Mo. Oxford

Oxfordに来ています。今朝の5時です。アメリカ東部時間では夜中の12時。何故か目が冴えています。時差ぼけです。何でこんな時差ぼけになるのかいまいちよくわかりません。やっぱり、東に向かって移動すると、どうも体が慣れないらしい。確か、ドイツに行ったときもよくわからない時差ぼけになったような気がする。せっかくなので今日の出来事をメモしておきます。

9月12日の夕方の飛行機でワシントンダレスからロンドンヒースローへ。機内の個人モニターが使えませんでした。映画見ようと思っていたのに見れません。フライトアテンダントさんに何とかしてほしいと頼んだのですが、どうにもできず、もらったのは一枚の紙。そこには、「迷惑かけて申し訳ない。90日以内に次のアドレスにアクセスしてくれ。お詫びのしるしを送るから」と、書いてあります。どうやら、お金か何かと交換してくれるらしいです。そんなシステムがあるとは知りませんでした。機内食、夕食は「チキンかパスタ」。チキンを選ぶ。すると、チキンカレーだった。それなら、「カレーかパスタ」だろう?と思うのだけど。

およそ8時間ほどでロンドンヒースロー到着。朝6時過ぎ。到着間際に、同じ飛行機にHTさんが乗っていることに気がついた。空港で少しお話をする。その後、VGSさんの到着を少し待つ。彼女到着。朝食にクロワッサンとコーヒー。車に乗り込み、一路ストーンヘンジへ。およそ1時間半のドライブ。ストーンヘンジでは、入場料が必要(6.5ポンド)だったのだが、そのコースには参加せず、フェンス越しに写真を撮る。目的達成したので、そこを離れる。



VGSさん曰く「イギリスに来て、ロンドンに行かないのはおかしい」というわけで、一路オックスフォードまで戻って荷物を置き、ロンドンへ行くことを勧められる。とりあえず、ドライブすることに。サリスベリーの町へ行きキャセドラルを見る。イギリスの片田舎の町だけど、かわいい家が建っていてなかなか雰囲気がよい。途中でサラム古城跡を見学。サリスベリーの町でティーを飲む。紅茶とお菓子で小休止。その後、ホワイトホースバレーと呼ばれる地域を抜けてオックスフォードへ向かうことに。ところが、そのあたりは道が細かくてよくわからない。迷い迷って、途中パブで食事しながら、ホワイトホースバレー付近に着いたのが3時過ぎ。もはやロンドンは無理だ。というわけで、そのあたりの小さな町の町並みとホワイトホースバレーを見学。ホワイトホースバレーは丘陵地にあり、その地面にチョークの成分が含まれる、ということで、草を刈れば、遠くから見て白い地面が露出する。それをちょうど馬に見えるように刈っておけば、遠くから見ると白馬が浮き出て見える、というしかけ。あんまりたくさんは見れなかったけど、なかなか楽しかった。



イギリスの片田舎。放牧地が広がり、馬と羊と牛が飼われている。その放牧地をたくさんの人が散歩したり馬に乗ったりサイクリングしたり。そういったアウトドアアクティビティがイギリスでは好まれるのだそうだなんか、アメリカとはずいぶん違う気がする。また、そのあたりの家は茅葺の屋根を持った背の低い窓の小さい家が有名だそうで、ちょうど、妖精の家のモデルになったりしているのだそうだ。日本の白川郷辺りにある茅葺屋根を思い出させるような光景で、興味深いものがある。イギリスの町並みは日本ともアメリカとも違うのだが、細い路地や古めの木造建築などを見ると、なんとなく日本を思い出したのは不思議な気がした。

さて、小旅行。結局オックスフォードに着いたのが午後4時半ころ。ずっとVGSさんの運転で、とても世話になってしまった。宿泊はオックスフォードのカレッジのドミトリーで、今回世話になるのは、バリオリカレッジ。古くからあるカレッジらしい。メインストリートに面しているので便利なところではあるが、最初は町がごみごみしていて右も左もわからない感じであった。彼女がいなかったらすんなりたどり着けたかどうか。

部屋は比較的広いのだが、テレビもなければインターネットもつなげない。ただベッドとテーブルがあるだけの部屋。もちろん風呂トイレは共同。ネットがないのは不便だが、思ったより部屋はまともだ。ただし、これで一泊50ポンド強というのは高い。

その後VGSさんと別れ、僕は国際会議のレセプションに参加。レセプションは大学の博物館で行われた。一大学の博物館に恐竜や現生生物の骨格標本が飾ってあったりする。さすがはOxford。レジストレーションがうまくできているかどうか不安だったのだがまったく問題なかった。ちゃんとバンケットのチケットももらえたし(予約していた)、ツアーにも参加できることになった(こちらは予約できていなかったがスペースが空いていた)。結局ワイン二杯ちょっとと水で2時間があっという間に過ぎる。つまみも何もなかったので、そこらにいた人たちと晩飯に出かける。カフェに入り、フランス料理風のディナーをいただく。なかなか美味だった。ワインもおいしい。

その後徒歩で宿舎まで帰り、シャワーを浴びて寝床についたのが、11時半くらい。なかなか充実した一日だった。ただ、その後3時前に目覚めたのは若干早すぎた。のどが渇いているのだが水が手に入らない。
ロビーのおっちゃんに尋ねたら、水道水問題なく飲めるよ、というわけで少し飲んでみた。今のところおなかは痛くならないので、本当に大丈夫なのだろう。夜が明ければ国際会議開始であるが、講演中に眠りそうなのが痛いところ。夕方にはポスター発表がある。それがすめば後は聞き役に徹することができる。x線のその後の改良について聞くのが楽しみである。

そういえば、会場でWLWに会った。同じ研究所の違うディビジョンの人なのだが、彼の持っているX線散乱装置について少し尋ねてみた。どうやらその後改良されていて、僕のやりたい実験条件を満たすことができるらしいので、帰ったら実験を申し込んでみることにしよう。

2009年9月11日金曜日

11Fr. 出張前日

全く情けないとしか言いようがない。学会参加の申し込みは早々にすませてあり何も問題は無かったはずなのに。

今日出張準備として、いろいろと調べ物をしていた。そして気がついた。
「参加申し込みの確認のメールが来ていない」
いくら探しても過去に受け取ったメールに無い。なぜか。いろいろ探しまわって理解した。一時メールの要領がオーバーしていてその間に届いたメールは受け取れなかった。。。どうやらその時に届いていたらしい。もはや、イギリスは時間外。というわけで、最終確認とれないまま行く事になった。もう。僕って、どうも、こういう当りが情けない。

でも、まぁいいや。お金は払った訳だし、何とかなるだろう。

今朝はセミナーがあったので聞きに行った。テラヘルツ分光でタンパク質の内部運動を調べたい、というお話。AFが聞いたら楽しかっただろうに。僕にとっては、どうも長さのスケールも無いし、協同運動を見たいと言っている割りには自己相関と思われる様な議論をしたりするのでピンと来なかった。午後その人と少し話をしたのだが、彼女はどうやらその辺りの事はあまりピンと来ていない様である。やっぱり時空スケールを同時に測定する様な手法を用いていないとその辺りの事はあまりよく分からないのかもしれない。スピンエコーに興味がある、と言う事だったので原理から試料セットのことやテスト実験の事等迄お話ししておいた。

隣の装置の磁場の影響はかなり小さいようであった。週末も分解能測定を繰り返す。週明けにはJSGとAFでうまい事やってくれるだろう。

と言う訳で僕はこれから出発の準備をして明日フライトする。初UK。楽しんできたい。

2009年9月10日木曜日

10Th. いろいろ

先週末からのお話。

土曜日から月曜日にかけて、Ohio州に出かけてきました。目的は、家内らのお買い物。F家と合同で。その間、子供達と一緒に動物園に行ったりパットパットゴルフしたり。それではあんまりなので、僕もHFさんとオハイオ州でゴルフしてみました。ちなみに月曜日はlabor dayで仕事はお休みでした。考えてみれば、これが今年の夏休みだったか。

火曜日は論文修正等。夕方日本から久しぶりにやって来たO夫妻の歓迎兼ねてBBQ。

水曜日は隣の装置の磁場測定。あまり影響ないかも、と言う感じ。週末から行くイギリス出張の件で、VGSさんにメールする。なんと、空港迄迎えに来てくれる事になり、しかも、stonehengeに連れていってくれる事になった。楽しみ。日本の出版社から本の分担執筆について打診があった。共同研究者に連絡し、共同執筆について検討を始める。9/29日にDelaware大学で講演する様にボスに頼まれた。

木曜日は原子炉起動日。隣の装置の磁場の影響を中性子を使って測定する準備をした後、実際に測定開始。今度PREに掲載される論文のゲラ刷りが届いたのでチェックして送り返した。10月に実験する内容についてKRさんとSKさんと打ち合わせ。夕方Indiana大学のZYくんからメールが来て、無事学位審査が終了したと知らせてくれた。彼も次はORNLでポスドクとして働く事になる。欲を言えば、審査過程にももう少しコミットしたかった…今週はもう一件、NLY君が日本で助教になったと連絡をくれた。研究室の後輩で長くポスドクをしていたから若干心配していたが、これで僕が卒業した研究室から出た連中は皆ポストを得た事になる。目出度い事だが、考えてみたら僕の立場が一番不安定ということになったのではないか?

そして、まだOxfordの詳細について調べていない。日本にいる頃は海外出張と言えば緊張してなるべくいろいろ調べた物だが-遠い目。

2009年9月4日金曜日

04Fr. 見学

午前中はYSさんの論文についてのやり取りを見てコメントを送る。一カ所わからない所があって質問したいのだが、どう聞いたら良いかを考えているうちに午後になり、お客さんが来た。

MMさんとKHさんがN○Hから訪ねて来てくれた。装置を案内し、僕がやっている事について説明した。わかって頂けたでしょうか?その後、研究所内のちょっとした博物館?に案内した。そこには、1モルの炭素の固まりとか、メートル原器とかが飾ってある。研究者にはちょっと楽しい展示になっている。広くはないが30分くらいは見学出来る内容になっていた。

2009年9月3日木曜日

03Th. poster printed

午前中、装置の移設の件について技術者の人も含めて議論した。今日の議題は主に電源。装置のレイアウトと遮蔽体。

朝、YSさんの投稿論文に対するレフリーコメントが来たとの連絡及び沢山議論がされていた。それらをフォローして考えたりしていた。ようやく夕方コメントを送れたが、助けになるだろうか。

posterの印刷をお願いしたらあっという間に出来上がって来た。自分でできない事にストレスはありつつも、頼んだら何でもやってくれるこの環境は慣れると楽だ。もし日本に帰ることになったらかなりリハビリが必要そう。

夜、KS君の返事を踏まえて彼の論文を少し手直しした。

その他週末から行く旅行についていろいろ計画。

2009年9月2日水曜日

02We. poster

早くも9月。そして、このブログの更新頻度もどんどん下がってますね。

さて9月。今月は、小角散乱国際会議でイギリス出張があります。というわけで、ポスター発表準備に勤しんでおります。その他、KS君の論文。それから、装置の移設についての打ち合わせなど。

それにしても、アメリカに残るのか、日本に帰るのか。まぁ、いずれの選択にしても、相手あっての事ですからねぇ。コチラが日本!と思っても、日本でポストがなければどうしようもないし、逆もまたしかり。まぁ、あんまり先の事考えすぎてもいかんので、今はここでの生活を楽しむべき、ということか。

2009年8月26日水曜日

26We. SANS実験終了

結局夕べは1時頃帰宅だったのだが、SANS実験の時は日中ものすごく集中しているからか、帰宅後うだうだする時間が必要で、結局3時頃迄うだうだしていた。朝から実験の様子チェックに行き、上手く行っている事を確認、9時30分頃終了した。残り30分あったのだが、温度変化させてると時間オーバーするので、次の人に譲った。

昼迄データのreductionを行い、昼食後片付け。セルを全部洗って乾かして、一部は返した。明日全部返す。

その後、データ解析を本格的に行い、今回の実験が上手く行ったかどうかをチェックした。以前測定していた傾向と同様な傾向が見えているし、今回は前回より組成範囲も広いので、より詳細がわかる様なデータが得られた。ただ、以前スピンエコー測定した組成が実はあまりよくなかったのかもしれない???という気もし始めた。明日以降詳細にチェックする。

夜メールチェックしたら、PBからメールが来ていた。以前、実験の日程について打診していた事に対する返事だったのだが、少々怒り気味のご様子。明日誤解を解いておかなければ。

2009年8月25日火曜日

25Tu. SANS実験

朝から小角散乱の実験。担当者と測定領域を決めて、調整してもらう。その後順調に測定を開始。

昼前になり、何やらプログラムの様子がおかしいんでないかな?と思い始めた矢先。AJが調子はどうだい?と絶妙のタイミングでやって来た。何やら起こり始めている事を告げると、「あれー、確かにおかしい。なんじゃこら?」という感じで調べ始めてくれる。要するに、プログラムが暴走していた。原因は、検出器を制御するwindowsが死んでいたからで、それを立ち上げ直して、メインのプログラムをリスタートしたらうまく動き出した。

夕方食事に戻り、実験室に引き返す。
後一時間程で朝迄の測定をかけてお家に帰る。帰宅は丁度日付の変わる頃か?SANS実験にしてはまともな時間に帰れそうだ。

2009年8月24日月曜日

24Mo. 準備

朝からずっと小角散乱実験の準備。明日から24時間の実験。

Physical Review Eから正式にacceptの連絡が来た。最近APSの雑誌にアクセプトされると、Physics TodayとかPhysicsとかに掲載になるかもしれないと言う訳で要旨を受け付けるらしい。どうしよ。

23Sa. カニ

午前2時出発、カニ釣り企画第二弾に出かけてきました。場所は、メリーランド州立公園ポイントアウトルック。

午前1時40分、長男に、「カニ釣り行くか?」と言うと、普段はそんなことでは決して起きないのに楽々起床。次男を起こして準備完了。長女と三男は眠いながらもなんとか車へ。高速道路は空いていて快調快調。高速道路から州道317号線に入ってしばらくすると、何となく、外で「ピーン」て言う音が聞こえる気がする。丁度信号で止まって、窓を開けて音を聞こうとするも、信号が青になると、エンジン噴かしても進みません。パンクです。

走ってる途中でパンクになったのは初めて。スペアタイアを取り出して、道路端で格闘する事20-30分。無事タイヤ交換を終えました。そのまま走り続ける事にしましたが、目的地迄後100マイル。時間は3時30分。パンクしたのは左フロント、というわけで、スピードを出すのが怖い。ゆっくり走り、気がついた。こんなペースでは目的地に着く頃には朝になる。スペアタイアで100マイル、往復すれば250マイルも走れる物か?しばらく頑張る。子供らの声援を受けながら頑張る。

が、これ以上トラブルが出る事を避けて、残念だが、帰路につく事にした。というわけで、子供らに恨まれながらもかに釣りは参加出来ず。帰る道々子供らをなだめたりすかしたり。結局、自宅に到着したのは朝5時過ぎ。そのまま目的地に向かったとしたら、6時30分頃到着だったか?

と言う訳で帰宅後就寝。

起きて、タイヤ屋さんへ。パンクの原因は、タイヤの老朽化が主と見たので、新品を購入。アライメントしていると、何やら部品が新しい物が取り付いてて、それが少し取り付けがおかしいからアライメントがうまく取れない、とか言う。この車、ホントにいろんな所に「だまされてる」と思わす様な仕掛けが待ってる。とはいえなんとかアライメントしてもらい、午後からバーベキューに参加。

BBQはカニ釣りに行ったメンバーがカニを持ち寄り、焼きガニがメイン、という贅沢もの。見てみれば、大量のカニ。大人四人と子供五人(大人のうち三人が女性、子供のうち釣りが出来たのは2-3人かな?)で、40-50匹。大量でしたね。カニ焼いて、肉焼いて、野菜焼いて美味しく食べて、子供達は公園で遊び回って、大人はお酒も飲んで、大いに騒いで夕方帰宅。

タイヤ代が高くついた日曜日でした。

2009年8月20日木曜日

20Th. cicada killers

朝、職場で仕事をしていたら、家内から、「玄関前の木に蜂が沢山いて困る」という連絡が。みんなが、蜜蜂だ蜜蜂だ言うから、「種類を調べてから連絡しなさい」、と言って電話を切った。が、木にいるって言うので、気になったから家に戻った。同室のJSGに状況を話したら、「いいじゃん、honeyとれよ」って。ミツバチならいいんだけど、と思いながら帰宅。見れば、スズメバチではないか。オオスズメバチではないのだが、中くらいのやつ。キイロスズメバチと言う種類が近いのかもしれない。戦おうと思いつつ帰って来たのだが、スズメバチを見た瞬間に戦意喪失。家族には裏から出入りする様に言う。

インターネットでまずは名前から調べた。スズメバチは英語ではhornet。アメリカのこの辺りで見られるのはeuropean hornetという種類が多いらしい。これだと思い、駆除業者に電話。ネットで見つけた会社は、対応範囲外だと言って断られ、別業者を紹介してもらう。別業者に電話したら、範囲内だけど今行ける人がいないから別の会社を紹介する、と言うやり取りがしばらくあり、最終的に、Triangle Home Services Inc.のトラビスが来てくれた。来るなり、状況を調べて、説明してくれた。

この蜂の名前は、cicada killersだ。ほら、その辺で鳴いてる虫がいるだろう、cicada。あれを取って来て、穴の中に埋めるんだ。放っておくとそのうち家の中迄巣を張り出すんだ。奴らはcicadaはじめ、insectsを何でも食べるんだ。家の中に巣が出来たら最悪だぞ。夕べも夜中の12時に電話があって、ある女性の家にいったんだが、家の中にこの蜂が飛んでたんだ。彼女は壁にクラックを見つけて何かなー、と思って押してみたら簡単に壁が崩れたんだそうだ。そこから蜂がわんさか飛び出して来て、それで俺に電話をくれたんだ。あーなったら最悪だ。で、これから何をするかと言うと、とりあえず、この木とその周りの前庭全体に薬品を撒く。今日はそれだけだ。でも、この蜂は厄介だから一回だけではなく何回かチェックに来るよ。毎月こなくちゃ。値段は、今日の薬品散布が$205で、来月から毎月$55だ。もし、その間に状況がひどくなる様なら電話してくれ。ただで対応するから。それから、もし、家の中に巣が出来る様な事があってもただで対応するよ。どうだ?

まぁ、一気にしゃべるしゃべる。もちろん目の前にcicada killersがぶんぶん飛んでて、しかもそんな悪さをするやつなら、金の問題じゃないって言う訳で、「OK、じゃぁ、やってくれ」。しかし、この値段は適正価格なのかどうかはわからない。まぁ、家の中に巣が出来た時にただでやっつけてくれるんなら安いのかも。でもきっと、家の中の対応をする時にはいろんな所ぶっ壊すんだろうなぁ。。。

今日は庭に、Cypen TCとか言う薬品を10ガロンも撒いて帰って行った。今から2時間は庭の草に触るなよ。から始まって、今日やった事を詳しく説明してくれた。まぁしゃべるしゃべる。ひとしきり説明をしてくれた後、「で、君は何処から来たんだ?」と聞かれ、「日本だよ」と言ったら、満面の笑みを浮かべて、「そうかぁ、日本かぁ。僕は行った事はないんだがいいとこなんだよなぁ?」って。そこからまたしゃべるしゃべる。彼には19, 16, 14歳の子供がいるんだそうで、うちに4人いると言ったら、またまた良くしゃべってた。明るいおじさんだった。

それにしても、cicada killers、直訳すれば、蝉殺し。すごいネーミングだ。前出のeuropean hornetsはcicada killersよりは少し小さいのだそうだ。そして、今年はここ20年の中で、蜂の活動が最悪と言って良い位活発なんだそうである。彼の言うには、
1. 冬があまり寒くなくなった。
2. 夏になっても、今年は雨が多かった。
3. 気候変化でそもそも数が増えて来た。
ということから、活発なんだろう。と言っていた。ここでも気候変動の影響が。

それにしても、早く完全駆除出来る事を願うのみである。

googleでcicada killersを調べてみたけど、なんか、見てたやつとは違う様な気が?あれれ?

2009年8月19日水曜日

19We. 釈然としない

一昨日から昨日にかけて、Physica Bに三件、Macromoleculesに一件アクセプトされていた論文が出版になったと連絡があった。共同研究者の皆様、ご苦労様でした。

釈然としないのは、今日アクセプトの連絡があった論文。元々、Physical Review Lettersに投稿したのだが、3人のレフリー中、二人がPhysical Review E止まり、という判断だったので、PREに再投稿した。一応、Rapid Communicationで投稿していたのだが、今日きたのは、regular articleとしてアクセプト、という物だった。投稿のとき選んだ分野も変更された。その上、PACSナンバー*も新しいのがふされていて、しかもそれがメインだと言う。その番号を調べてみたら、Microscopyである。僕がやってるのはMicroscopyでは決してない。というわけで、そのPACSナンバーだけはやめて欲しい旨メールを送った。今回の論文は、single authorで初めて書いた英語の論文で、出版が受理されたのはもちろん嬉しいのだが、なんにも思う様にならなかったので何となく釈然としない。贅沢でしょうか?

あ、考えてみたら、投稿の時に、Rapid Communicationにする理由をきちんと書いてなかった。あー、それでだ。ミスったな。このブログ書いてて気がついた。これで腑に落ちた。

*PACSナンバーというのは、物理系の雑誌に投稿する時に分野をわかりやすくする為に、分野や方法等を番号で表してある物で、3-4個の番号が各論文についているのだ。もともと3つは選んでいたので、その3つにしておいて欲しいのだけど、editor判断では少し分野が違っている、という事なのだろう。

2009年8月12日水曜日

12We. 続分解能

grantの申請のためpower pointで一ページにまとめた物が欲しいと言われたので、ZY君にお願いした。割とすぐ届いたので修正してまた送り返した。

装置の分解能が少し良くなったようだ。とはいえ、通常僕には関係のない高角域での話なのだが。それにしても少しずつ調整の仕方がわかって来た。

YLさんによるセミナーがあった。タンパク質のクラスタリングの話。スピンエコーの結果もあった。が、今イチしっくり来ない話だった。

2009年8月11日火曜日

アメリカの郵便事情

アメリカに来てから三年以上経ちますが、アメリカの郵便事情には驚くべき事がいくつかあります。

日本から学会誌が毎月(?)届く事になっていますが、今日届いた物は驚きでした。封筒のみ!中身無し。どっかで落ちちゃったんでしょうねぇ。これって、届ける人にとってみれば、中身の無い物を届ける訳だから、ある意味、届けたくないはずだけど、中身が無くても封筒に住所が貼ってある以上は、届けるのが自分の仕事。中身があるかどうかは関係ない、と言う感じ。各個人の仕事に対しては責任感があるのでしょうが、中身を探す、という責任感はないらしい。つまり、配達の途中で中身が落ちる様な甘い包装をしたのが悪い、ということらしい。アメリカ人が箱を発送するときの厳重な梱包を見れば、その意味が分かる。

その他にも、
言わずもがなですが、届かない、という事が割と頻繁にあります。
箱の中身から何か無くなってる。
箱三つ日本から同時に送ったが、最後の一つが他のが届いた後一ヶ月位してから届く。
少し大きな箱が届いた事になってるが届いてない。営業所に連絡してみると、郵便受けに入れたと言う。郵便受けはそんな箱が入る程大きくない。。。結局、営業所に戻っていてそこ迄取りに行く。
などなど、という事がありました。

日本では郵便物が普通に届くのが当たり前。でも、この国では届かなくても不思議はない。そんな事にも慣れてきました。もっとも、慣れた所で、郵便物が届かないのは当然腹が立つのだが、中身を取り返そうとしても徒労に終わる事がほとんど。むー。

2009年8月10日月曜日

10Mo. 分解能

先週AFさんが実験をしていたら、少し分解能が悪い、というので、今日は少しその辺りのチェックを始めた。

ビームタイム決定委員会が開催された。実験ができるかできないかを決めると言うもので、我々にとってはそれなりに大きな意味のあるものだ。結果は、良かった所悪かった所もいろいろあるが、どうあれ結果は出たので、後はそれに合わせて運用すると言うことになる。向こう半年の実験の様子がわかったので、またこれから気合いを入れ直して頑張らなければ。

2009年8月5日水曜日

05We. やっぱり壁は厚かった

三人目のレフリーからのコメントが帰って来た。ついでに、最初のレフリーの二回目のコメントも一緒に送られて来た。結論は、reject。今回チャレンジしていたのは、Physical Review Lettersという物理系の雑誌としては権威のあるところ。三人のレフリーは三人とも好意的なコメントなのだが、PRLに掲載するには不十分、ということらしい。でも、レフリーみんな、面白い、と言ってくれてる、というところが、何となく釈然としない。ただ、コメントが言わんとする事はわかるし、これ以上抵抗しても仕方が無いので今回は諦めた。残念だが、また次の機会をうかがう事にしよう。で、今回の論文に関しては、コメントを加味して修正し、別の雑誌に投稿する事になるが、出来るだけ早めに修正して投稿しよう。それにしても今回は残念だった。

2009年7月31日金曜日

31Fr. やっぱり難しい

先日再投稿した論文について、今日またeditorから連絡が来た。それによると、レフリーの一人はまだ納得しておらず、結局、三人目のレフリーの所に送られた、のだそうだ。やっぱりこの雑誌は簡単ではないなぁ。

OYさんの実験は引き続き進んでいるのだが、時々電源の調子が悪くなる様で、所々使えないデータが出てくる。可能なら来週当たりチェックしたい所だが、実験詰まってるし、できるだろうか。

研究所内の車の駐車許可証の義務づけが来週月曜から始まる、ということで、今日許可証を取りに行った。丁度車に乗って、自宅に止まってる二台目のナンバーを見に行こうと研究所を出た途端。大雨。トルネード警報。土砂降り。ものの1分で前が見えなくなり、5分後には道路水たまりだらけ。偉い目にあった。事故無く研究所へ戻り、少々ぬれたが無事許可証ももらえた。それにしても、凄い雨だった。2時間後には晴れて、また暑くなった。

30Th. OYさん帰国

先日再投稿した論文のレフリーコメントが送られて来る物と思っていたが、なんでも、コメントが不十分だったので再度レフリーにコメントを求める、とか言う事になったらしく、もう少し待て、という事になった、というのが29日の事。

今日は、YSさんから論文を投稿した旨の連絡があった。

OYさんの実験も終わりに近づいて来た。今は低温の測定をしており、これが終わったら高温にあげて最終温度の測定になる。順調に進んでおり、データも綺麗。OYさんは、本日の午後の便で日本に帰国された。

多くの時間は、論文読みに集中した。

2009年7月28日火曜日

28Tu. Newton

今日のタイトルは、Newtonです。Isaac Newtonのこと。論文を調べていたら、Newtonが書いた本がreferenceしてあった。ネットで調べてみると、google booksでダウンロード可能だった。なんでも、アメリカではこの本(タイトルはOpticks)はpublic domainにあり、誰でも閲覧可能とのこと。ただし、国に依っては著作権がキープされてる場合があるので、利用するときは注意するように、という但し書きがあった。最初の方をざっと読んでみたのだけど、理解可能な英語で書いてあるんですねぇ。1700年代の本が読める、というのは一種感動でした。また、Newtonが興味を持った事を形を変えて今僕が研究している、というのも研究者ならではの醍醐味かもしれない。尤も、僕の問題意識は既に過去の物で、新しい問題を含んでいる訳ではない、という可能性も否めない訳ではあるが…まぁ、いろいろと考えてみよう、と思う。

OYさんの実験は順調に進んでおり、最終日迄のスケジュールも見えて来た。このまま装置のトラブルがなく実験が続く事を願う。

先日再投稿した論文のrefereeコメントがeditorに届いた、ということが、web siteに掲示してあった。明日には其のコメントが僕の元に届くのだろう。上手くいっていて欲しい。

今週始めに長女が熱を出したのだが、それが三男にうつったらしく、彼は今高熱にうなされている。可哀想に。早く良くなれ!

2009年7月27日月曜日

27Mo. カニとコメント

日曜日の午前2時出発、午前4時過ぎ現地着で、かに釣りしてきました。えさは鶏肉のドラム。これをひもにくくりつけて海に沈めます。ちょっと引っ張ってみると、カニが引っ付いています。それをそうっと寄せて来て、最後は網ですくいます。こういう原始的な釣りですが、カニがかかってると割と面白い。午前6時頃ピークを迎えた食いつきも、明るくなって来ると駄目になりました。釣果は3匹。うーん。今イチ。もっと釣れたんですが、サイズ制限があり、持ち帰れなかったのです。

月曜日、朝からデータチェック。まずまずのデータが出ている様で、実験も順調。午後、データを見ながら最終的な方針を話し合い、測定を継続する事になった。

ZY君の論文にレフリーコメントが帰って来た。過去最悪のコメントで、当然reject。この研究は僕は手伝いでイニシアティブはとっていない。しかも、ちゃんとした?研究者がついているわけで、かなりな部分信用していたのだが、どうやら前提におかしな事があるようで、そこまでちゃんとフォローしていなかった僕としては、さもありなん、なコメントだった。ただ、彼らはショックを受けているだろうから、そのフォローがまた大変かもしれない。それにしても、やっぱり気になった事はばんばん突っ込まないと駄目なんだなぁ、ということを痛感した。そういう意味では責任も感じる。ここからどう立て直して行くのか、時間もない中でなかなか大変な事である。

2009年7月24日金曜日

24Fr. 賢い人は賢い

以前論文を書いていた時、Vrijという人が考えた理論を使った。最近それとは少し違う研究をしている。今日、いろいろ文献検索をしていたら、どうやら、60、70年代に今僕が研究している事の理論を考えていたグループがあったらしい。その中心人物がまたVrijという人。同一人物かどうか迄は調べていないけれど、活躍時期は近い。賢いなぁ。ただ、その理論は少し古いので、そのまま今の研究に使えるとは思えない。彼がやった事をしっかり調べなければならない。という訳で、光明が見えつつも、割と古い問題である事が分かって少々複雑な思いがする。

OYさんの実験は、順調に進んでおり、明日には最初のデータ解析が出来そうだ。データはきちんと出ていそうで、この実験に関してはあまり悩まずとも良さそうだ。試料が良い事とどうやら実験条件が当りである、という事が大きい。後は出て来る結果が以前の結果とconsistentであればオッケー。という訳で明日の解析が待ち遠しい。

帰り際、同部屋のJSGさんに週末の予定を聞いてみた。彼はAnapolisに行くらしい。いい所なのかどうかを聞いてみた。Baltimoreに比べて、街の規模は小さいが、町並みが綺麗で散歩するのにいいのだそうだ。少しヨーロッパを感じさせる町並みだとか。まだ行った事が無いのだが、彼には行く事を勧められた。という訳でこの夏の何処かで行って来よう。

先日出版されたMSさんとの共同研究「非干渉性小角散乱強度の見積もり方」の論文をこちらの装置の所に情報として載せてもらおうと思ってPBに連絡していたのだが、それについて、セミナーをしないかと言われた。発表した事が無いので原稿を一から作らなければならないが、いずれ話をさせてもらおう。

2009年7月23日木曜日

23Th. 実験開始

今日から原子炉が起動して、実験開始となる。朝から準備をし、測定を開始した。実験は、OYさん達の実験で、彼らは今日の夕方に到着予定だ。試料を別途郵送してもらっていたので、それをセットし、測定を開始した。大まかには順調に進み、測定したい条件も直に見つかり、彼らが到着した夕方には、順調な状態になっていた。後は、データを見つつ、どう言う条件で測定するかを考えればいいだけである。

実験の合間には、論文の構想を練ったり、SAXS実験の構想を練ったり、次のSANS実験の構想を練ったりと、いろいろと考えていた。まだ結論は出ないが、これらの実験結果は9月の会議の題材になりうるので、しっかりと考えて実験しなければならない。

2009年7月22日水曜日

22We. 落選

昨日の事になるが、9月にイギリスで開かれる小角散乱国際会議の発表がoralかposterかの発表があった。残念ながら、ポスターになった。内容は面白いと思うんだけど…。ともかく…。KMくんの発表はoralになっていたのでそれは、とても良かった。KS君のは結論がペンディングされてた。多分、誰かがキャンセルしたらoralにしてもらえる、という事なんじゃないかと思う。

昨日は、DNさんと少し込み入った話もした。今後の身の振り方を真剣に考えなければならない時期になったようだという事を確認する事と、それをDNさんに伝える事が目的だった。彼の僕に対する評価もきちんと言ってもらった。彼曰く、「子供の事は僕にはわからない。でも、君はここにいるべきだ、と僕は思う。しっかりと考えて結論を出して欲しい。」このままアメリカに居続けるのか、それとも日本に帰る事を考えるのか。子供の年齢の事もあるので、まじめに考えなければならない。この結論は難しそうだ。でも、考えてみれば、渡米するときは、「三年以内にクビになるかも」と思いながらやってきたものだった。思った通りに事が運ばない事も多く、苦労も多かった。でも、研究に関しては、その質は格段に上がった気がする。がむしゃらに(読者の方でそうでもないぞ、と思ってらっしゃる方、僕的にはがむしゃらなのよ)頑張った結果、「いて欲しい」と言われる様になっている事はとても誇らしい事である。この様な経験を踏まえて、今後どうするのか。夜も眠れない…

今日は、朝からフルペーパーの修正をしつつ、実験の申請書の採点結果等をチェックしたりしていた。今回僕が書いた申請は当落線上にありそうだ。KS君の代理の方は今の所高評価だったので採択になりそうだ。発表はポスターでもいいけれど、実験時間は確保したい所だ。その合間に、ANAカードのとあるセクションの人から電話がかかった。「今日ヒューストンに行って買い物したか?」という事だった。もちろん答えはno。「誰かに情報を盗まれてるかもしれないので、このカードを凍結しました。」と。こういう事ってあるんですね。不便ですが、きちんとチェックしてくれているのは有り難い。でも、使い込まれたのかどうかまではその場で確認出来なかった(英語力の無さ)ので、明細が届く迄は安心は出来ないのだが。午後は、明日から始まる実験の為に、装置の立ち上げと試料のセットをした。でも、真空ポンプが無かった(試料環境グループの所で使われてた)ので、それだけは明日にペンディングにしたが、おそらく大して問題にはならないだろう。もちろん、明日の朝には返してもらう様にキチンとお願いだけはしておいた。

それにしても、再投稿した論文のレフリーコメントがなかなか届かない。レフリーの方はお忙しいのだろう。と思ってたら、今日そのレフリーにreminderがeditorから送られたと書いてあった。お忙しい所を急かされるのもまた大変な事ではある。でも、僕としては早くコメントを知りたいというのも事実。というわけで、レフリーになったら、それなりに優先して仕上げないといけないな、と自戒する訳である。

2009年7月20日月曜日

20Mo. デスクワーク

今日は朝から、YSさんの論文を眺めて内容を理解して、自分なりに修正して夕方メールで送った。集中してやったのだが、かなりいろいろ調べながらやったせいか、ほぼそれだけで一日が終わってしまった。

その他に、明日のmeetingの資料を作ったり、TKさんに打ち合わせのメールを送ったりした。

2009年7月14日火曜日

14Tu. Highlight

研究所から出されるanual report。基本的には、highlightで形成されている。このうちの一つにZY君の研究を載せる事になっていて、その原稿の〆切が昨日だった。今日は、editされた原稿が帰って来て、それのチェック等をした。

また、次の論文の構想を練ったり、いろいろとjournalのことを調べたりした。impact factorを考えて投稿するjournalを決めようとすると、何となく、おかしな事になる。やっぱり、内容にそった雑誌に投稿するのが背伸びする事も無く最も良いのだろう、という結論に至り、その結論は、以前から持っている物と変わらなかった。

OYさんに試料缶を送る手続きが出来た。後は無事到着し、返送を待つのみである。その実験に向けて、こまごまと調整しなければ。

その他は、実験の技術審査。担当する物全てにざっと目を通し、問題になりそうな物を一つずつ丁寧に考える作業である。今週末が〆切なので一日数件ずつ結論を出す、というペースで間に合いそうだ。

夕方、AFがやってきて、「やる気にならん」と言うので、早々に一緒に自宅に戻る事にした。少し前に、自宅でぐんぐん育っているバジルをあげる約束を奥様としていたのだ。自宅に戻り、ビールを飲んで、バジルを渡して彼は帰って行った。また、10月に彼は日本に行くので、日本観光の参考になる情報をそろえる事を約束した。

13Mo. 怠け気味

最近、ブログ更新が怠け気味ですが、自宅に帰ってからの自堕落な生活が問題です。ネットの麻雀してみたり、ゴルフのパットの練習してみたり…

さて、最近の出来事はと言うと、ガイドホールの拡張工事に伴う、いろんな工事が目白押しです。大きな所では、新しい建物が居室の目の前でどんどん作られており、だんだん景色が悪くなって行きます。細かいながらも影響があったのは、冷却装置の移動。ほんの数メートルしか移動していないのに、冷却水は止めねばならず装置が心配になります。

先週再投稿した論文については音沙汰なく。あっさり返事があれば、掲載許可だと思うのですが、そうでない所を見ると、レフリーは納得していないのかもしれません。ZY君の今日〆切のhighlight原稿はなんとか出来上がり、提出にこぎ着けました。

OYさんの実験に伴い、試料缶を郵送しようと思うのですが、諸手続きで思う様にいかず。。。

今後のスケジュールを考えてみたり。次の論文を書いてみたり。

やっぱり、実験で忙しい日々の方が充実感はありますね。

そういえば、廊下でMRさんとすれ違い、J-PARCの完成披露式典の様子を聞きました。大勢の人々で盛況だったし、彼は満足していたのですが、講演会のほとんどが日本語でその通訳が無かったと聞きました。逆に英語の講演は日本語への通訳があったそうです。せっかく海外から大物が来てるんだから、同時通訳のイヤホンくらいあっても良かったのでは?と思います。聞く所、外国人は150人くらい来ていたとか。J-PARCへの期待を感じます。が、僕自身は蚊帳の外なのでそういう情報を聞きながら、MKさんが日本に帰った事による、日本情報の激減に一抹の寂しさを覚える今日この頃。まぁ、研究者ですから、そんな事言ってないで、自分の研究をすればいいんですけれど。

2009年7月6日月曜日

06Mo. 再投稿

朝職場に行ってから、メールチェック、ZY君の論文添削、Refereeになってる論文のチェックとコメント書き、自分の論文の修正と再投稿、ZY君の論文フォーマットに関する質問手続き、AFさんの発表原稿に関するコメントなどなど、いろいろこなした。

KM君のメールに対する返事を書こうと思っていたのだが、そこ迄手が回らなかった。この他、YSさんのデータ解析の件と、TKさんとの実験の打ち合わせに関して明日に持ち越しとなった。

帰りしな、どうやら、ORDELAのDKさんらしき人を見かけた。そういえば、CGが検出器の事で質問しに来てたなぁ、と思い当たり、きっと、DKさんはここの検出器を修理しに来ているのだろう。明日もいたら是非声をかけなければ。

2009年7月1日水曜日

01We. もう7月

早いものでもう7月になっちゃいましたね。今年も半分終わったか。。。

昨日から子供たちが熱を出し、元気な子供たちは夏休みで大変、というわけで、ほぼ自宅で仕事をしている感じ。むー。

先日の論文への査読コメントに対する返事を考えて、論文を修正し、お返事を書いて、AFさんとDNさんに見てもらっている。

熱を出しているのは、長男と長女。日中寝ていないものだから、夜になるとまた熱がでる、という悪循環。御陰で僕迄少し鼻がでる始末。まぁ、僕は大丈夫だと思うけど、他の子供に移らないかと心配になる。

次男。彼はどうしてもダンゴムシを飼育したいらしい。家内が嫌がる。で、先日は、「ダンゴムシが何を食べるかもわからないし、飼うとしてもどうやって飼ったら良いかわからないからまた今度にしよう」とごまかしたはずだったのだが。自宅でパソコンを見ていると横からやって来て「お父さん、ダンゴムシ調べよう」と言う。仕方ないから調べたら、食べるのは落ち葉だと言う事がわかった。少し砂を入れたペットボトルに落ち葉を入れて、ダンゴムシを入れておけば良いのだそうだ。オスもメスも入れておけば繁殖もするという。

で、次男は、早速小さなペットボトルを探し出し、外に出て行った。しかし、小さなペットボトルではダメっぽいので、今日も断念させて、ちゃんとした飼育容器を手に入れずばなるまい。

2009年6月26日金曜日

26Fr. 夏の学校最終日

今日が夏の学校の最終日。最終日には生徒がプレゼンテーションをする。というわけで、朝からその手伝いをする。我々の装置について話をしてくれるのは、二日目に来てくれたグループ。2時間ちょっとの間で15分発表ファイルを作って、午後からプレゼンをしてくれた。メンバー全員が持ち分を決めて、役割分担をしてきっちり話をしてくれた。よかった。それ以外のグループも全員発表をすませ、最後に、judgeが優秀発表者を発表した。

winner i---s, presenter for neutron spin echo!

とかなんとか。とにかく、優秀発表者として選ばれました。彼らが自分なりに理解した事をうまく発表に盛り込んで、厳しい質問にも耐えた結果です。僕らはすこしの手伝いをしただけですが、それでも、やはり嬉しかった。

また、全5グループのうち、3グループが何らかの形でスピンエコーについて触れてくれたのもよかった。

いろいろ個人的には反省点もある夏の学校でしたが、最後に、彼らがうまい事やってくれたのには大変救われた。次回はユーザーとしての彼らに会うのが楽しみである。

2009年6月25日木曜日

24We. 夏の学校三日目

さすがに、三日目ともなると少しは慣れるようで。でも、早くも最後のグループ。

午前中は二番目のグループにデータ解析の説明をAFがする。まぁ、ほぼ、AFさんがしゃべってるような感じですか。

午後、生徒のポスターセッション。彼らが普段やっている事をポスター発表し、それにコメントする、というもの。

そのご、三番目のグループに原理の説明をした。三回目だったので、かなりスムーズにしゃべれたと思う。時間的に、もう少し話したいけど話せない、と言う内容があり、装置の所で説明するのに少し情報不足か。もうちょっと考えて、次にこんな感じの事をする時にはうまくこなせる様にしたいものだ。

夕方はバンケット。Normandy Farmとか言うレストランでバフェ形式のディナー。$40、酒別、はちーと高いなぁ。ビールを片手に広場で話している時に、来年時間があれば、一ヶ月でもフランスにおいで、とBFさんが誘ってくれた。ILLで一ヶ月。それってとても勉強になりそう。行く方向で考えたい。

2009年6月23日火曜日

23Tu. 夏の学校二日目

今日は二日目。朝からAFがデータ解析について説明した。また、得られたデータを解析してマイクロエマルションの膜の弾性率を求めて、少し時間が余ったので、少しサイエンスの話をして終了した。

午後は新しいメンバーがやって来て再び原理の説明や装置の説明など、昨日と同じルーチンで説明を行った。少々スライドを修正していたので、かなりスムーズになったが、一点やや気になる箇所があったので、それをこれから修正して最終組に備えよう。BFさんは知識も経験も豊富なので、いろいろと説明をしてもらったが、僕も勉強になる事が多い。

夕方、AFさんとBFさんと一緒に夕食をとって帰って来た。

2009年6月22日月曜日

22Mo. 夏の学校初日

午前中は全体講演で、施設のdirectorのRDによるwelcome addressに始まり、サイエンスグループリーダーのDNの中性子を使ったサイエンスの話があり、基礎物理学の話があり、中性子の発生やダイナミクスについての話が続いた。その間、講演を聴いたり、試料調整をしたりして午後からの我々のセッションの準備をした。

午後になり、とうとうセッションが始まった。僕の予定していたスライドの2/3くらいでかなり時間をオーバーしたので、装置の説明を省いた。もう少しうまくやれたはずだ。(終了後スライドを少し調整した事は言うまでもない。)その後、ILLから講師として来ているBFに、マイクロエマルションの変形運動の話をしてもらった。その後装置に案内し、主にAFが説明をした。

全体的に生徒は興味を持って聞いており、やる気を感じる。なかなかうまく話が出来ないのが残念なのだが、2年前に比べればそれなりに貢献出来ているのかもしれない。明日からは一日中生徒の相手になる。もう少し余裕を持って接する様に気をつけよう。

さて、生徒の為に、試料の測定をかけに行って来よう。

2009年6月19日金曜日

19Fr. 夏の学校準備

今日も一日準備に追われた。他の事が何もできなかった。

スライドは夜になって、なんとか完成したような気がするが、さて、どうだろうか。全体ミーティングもあって、何となくそわそわして来た。AFさんと、実験の内容や解析の様子を打ち合わせして、なんとか準備ができたようだ。

夕方、彼と一緒に帰路についたが、そのときになってサンプルを準備していない事に気がついた。なんてこった。週末出かけて一緒に作ることにした。

帰宅後はまた準備。一回ずつ練習をしたらもう12時だ。明日は朝が早いのだが。。。

2009年6月18日木曜日

18Th. Safety Day

今日は研究所のsafety dayというイベントがあった。別に何をするわけでもないが、安全についていろいろ講義とかをしているのだ。で、一つは聞かなければならないらしい、と言うわけで午後、化学物質のラベリングなどについての講義を聴きに行った。が、あっという間に眠りに落ち、気がついたら、質疑応答時間だった。あらら。

さて、今日は、朝から夏の学校の準備。とにかく準備。サイエンスの一つのトピックスについては大体できた。もう一つのトピックスが間に合うかどうか。何なら、適当な事しゃべってお茶を濁そうかと…AFさんからの原理の説明についてのコメントは、「ちょっとやりすぎじゃないか」というものだった。がーん。折角一生懸命準備したのに。。。彼曰く、少しdetailに入りすぎていると。そうかなぁ。。。まぁ、考えよう。

MSさんのゲラ刷りに関しては、結局原稿がどこにあるかわからない。査読者はもう読んで次に回したと言う。事務のおばちゃんは、査読者の所にあると言う。で、いろいろ当たってみたが、結局今日はわからず仕舞だった。

論文に来たレフリーコメントを、DNさんに見せた。レフリーへの回答のアドバイスをくれて、最後に、「これはチャンスだ。これなら、70%チャンスで目的の雑誌に載るぞ」と。えー、それでも70%チャンスですか。でも、考えてみたら、70%チャンスって、大きいよ。大きくは、3つのコメントに回答するのだが、一つは余り問題なく大丈夫そうで、もう一つはちょっとややこしいのだが、なんとかなるかもしれない。最後の一つは正直に現在考えられる最大限の説明をしなければならないだろう。これが少し難しいか。でも、段々回答と改訂のメドが見えて来た。

SMCさんが、韓国の大物MWKさんを連れて来た。ちょっと顔を合わせて話をしたのだが、何しろ学校の準備があって、そっちが気になって仕方ないのでさっさと部屋に戻った。

2009年6月17日水曜日

17We. メモリーフルにつき大事な論文査読結果の受取が遅れる

昨日、先日投稿した論文の状況チェックをしたら、レフリーコメントを受け取って著者に送った、というステータスになっていた。が、メールを受け取った気配がなかった。今日にでも届くのだろうと思っていたのだが来ていない。論文などの連絡については、indiana大学のメールアドレスを使っているのだが、そのメールボックスのメモリーが一杯になっていたようで、5月の途中からそのアドレスに届いたメールが全てrejectされていたらしい。なんとも、情けない話である。恐らく、その中にその査読結果もあったのだろう。気がついたので、メールをたくさん削除して、エディターに連絡、午後になって、査読結果が届いた。この際、連絡先メールアドレスを変えることにしよう。

では、今日の出来事。

MSさんのゲラ校正。うちの研究所の校正はまだ上がらないので、引き続き待ってもらう様にお願いしているのだが、やはり、お怒りの様で、なんとか少しだけ猶予をお願いしている。気持ちはわかるし、僕の落ち度もあるので、ひたすらお願いするのみ。

夏の学校の発表準備。メールの問題や、論文の校正の問題などでなかなか集中できなかったのだが、原理の話のアニメーションをつけたりしてまた一歩完成に近づいた。夕方、AFさんにファイルを渡してチェックをお願いした。足りないものがあったらまずいから。その後、サイエンスの話を作り始めた。が、上記論文の査読結果がやって来て中断。

査読結果。二人のレフリーからコメントが届いた。一人は、100点満点の120点くらいの高評価で、無条件受理を選択してくれていた。もう一人は、70〜80点くらいの評価かな。突っ込みはなかなか厳しいもので、少し考えないとうまく答えられないかもしれないが、多分、誠意を持って答えれば通してくれるんじゃないか、と期待する。エディターは勿論中立なのだが、どちらかと言うと味方に回ってくれそうな雰囲気で、頑張ればこの雑誌に通してくれそうな気がする。答えを作るのはなかなか苦しいのだが、気持ち的にはかなり嬉しい。

夕方、SMCさんが訪ねて来て、勝田から羽田の移動方法について質問を受けた。Yahoo!の路線を調べていたら、新橋乗り換えで都営浅草線で羽田迄行ける、というルートを見つけた。知らなかった(忘れてた?)。でも、考えてみたら京急と都営浅草線は相互乗り入れしてるんでしたっけ?と思い、ルートを紹介。勿論、モノレール経由も教えておきました。

online published。夜メールチェックしてみたら、Physica Bに投稿していた論文がonlineで掲載された旨の連絡が来ていた。ゲラ校正してないよ!と思ったら、こちらもindianaのアドレスに連絡があった模様である。ただ、最終校正はまだできる、と言う事なので一安心した。この論文は、昨年Physical Review E誌に掲載されたスピンエコーデータの新しい解釈の方法論について、もう少しきちんと理論を適用してみましたよ、というもの。内容的にはPRE誌を超えるものではないが、この考えの妥当性をもう少しきちんと後押しできたのではないか、と思われる。マニアックな論文です。

online published 2。また、同一雑誌に同時に掲載予定の、KM君の論文もonlineで掲載された旨の連絡があった。こちらはきちんとゲラ校正もしてある。この論文は、slide-ring gelと呼ばれる高分子複合系で形成されるゲルの内部運動についてスピンエコーを使って調べた研究結果のうちの、初めて出版される論文になる。KM君がアメリカ迄やって来て一緒に測定したものである。その実験の前に別の似た系で実験をしているのだが、それについてはまだ出版迄たどり着かない。頑張らなくては。

2009年6月16日火曜日

16Tu. ゲラ刷りと安全検査

今朝メールを開くと、KM君のPhysica Bに投稿した論文のゲラ刷りが届いていた。目を通していたら、MSさんからJournal of Applied Crystallographyに最近受理された論文のゲラ刷りが届いたと連絡があった。KM君の論文に目を通し、MSさんの論文にも目を通したのだが、後者についてはまだ研究所の校正が済んでいないので、待って頂くようお願いした。

その後は、午後迄ひたすら夏の学校の発表準備。

午後から、施設内の実験室などの安全検査。僕がリーダーで全部で3人で部屋を見て回って、気がついた事などを報告する、というもの。僕たちが担当したのは化学実験室などで、見る場所が多かった。いくつか気がついた箇所があったので、その後まとめて、内覧した。

MRさんがJ-PARCの記念式典に出席するそうで、地図を持って、説明にきてくださった。御大なのだが、部屋迄訪ねて来てくださるとは、気さくな方だ。で、実は、その記念式典の話を知らなかったので、夜、大急ぎでweb検索してみたが、それらしい情報が引っかからない。J-PARCのホームページから入って行っても簡単に見つからなかった。大きな式典(参加者800名程度予想)らしいが、それの情報に簡単にアクセスできないとは不親切だと思うのだが。僕の探し方が悪いにしても、もう少しなんとかなりそうな気もする。

MRさんとひとしきり話した後は、韓国から実験にきてるSMCさんと話をした。僕の実験結果、彼の実験結果を紹介しあって、久しぶりに彼とゆっくり話が出来た。

と思ったら、もう夕方。AFさんといくつか打ち合わせをして、その後、発表準備に勤しむのであった。原理の方はあらかた出来たかと思うのだが、サイエンスの方がまだこれから。バックグラウンドのない人にもわかってもらうためには、それなりに準備をしなければならない。

2009年6月15日月曜日

15Mo. お久しぶりです

最近更新を怠っておりました。期待して覗いてくださっている皆様、ごめんなさい。

さて、ここのところはどうだったか、というと。

先週までに、ZY君、KM君、YSさん、KS君から続々と論文原稿が到着。合計7本あった。これらを次々と読んでコメントを出したり、データの確認をしたり、と言う日々。その間にも、TKさんが実験に来られたりした。今回のTKさんの実験に関しては僕が手伝う事はほとんどなかったのだが。で、全てにコメントを出せたかと言うと、そう言うわけにもいかず、残っているものもある。

また、その間に、MSさんとの共著の論文が受理された、と言う連絡があった。これは、小角散乱に現れる、非干渉性散乱を実験データから見積もる方法を示したもので、いろんな系に対してそこそこ良い見積りを与える。これなら、下手にバックグラウンドとなる溶媒の寄与を測定する必要もなく、ただ単に、透過率を精度良く測定すれば良いので、楽ちんになる。2005年に出版された我々の論文をより深く理解する事の出来た論文、と言う位置づけだろうか。

それらとは別に、来週一週間行われる、中性子夏の学校の準備。今回は、ダイナミクスについての夏の学校で、NSEもむろん使われる。というわけで、その説明準備をしているわけである。今年の僕の担当は、原理の説明(1時間)、サイエンスの話(30分)。それと、装置の説明、実験手順の説明などをする。実験は、3つのグループが実施しにくるので、これらは一グループ毎に一回ずつ行うことになる。後は、ツアーのガイドを一回行う。日本にいる頃、小角散乱の講義をしたことがあるが、今回は初のNSEの講義で、しかも原理の説明ということで、ほぼ一からスライドを作った。これまでに作ったもので使えそうなものも勿論織り交ぜてある。原理の方は、多分、後数枚作れば良いと思うのだが、サイエンスの方はこれから考えることになる。話そうと思う事は大体決まりつつあるのだが、うまく行くかどうか。

2009年6月4日木曜日

04Th. 申請書〆切日

今日が中性子の実験課題申請〆切日。

昨日KRさんと打ち合わせた件についてドラフトが出来て来ていた。また、KS君も実験したいという事で申請書が出て来ていた。また、TKさんとの実験についても申請書が。やっぱりいろいろあるもんだ。

午前中は、それらの申請書に目を通したり修正したりしていた。また、JCさんからちょっとした調べ物のお願いがあったりした。などなど、基本的にはデスクワークの一日。

午後には、KRさんがやって来て、タンパク質の運動について議論になった。彼は化学畑出身の様で、ことのほか細かい所迄気がついて仕方が無い。どんなタンパク質を測定すればいいのか、という事を随分前から考えて来た様で、最近になってようやくベストの物が見えて来たらしい。そういう意味では僕はいいタイミングで渡米して来た訳である。スピンエコーでどう言う物を観測するのか、という事で細かい所迄いろいろと突っ込まれる。応えに窮する場面も多いのだが、なんとか納得してもらえる回答をしているのも事実のようだ。結局、1-2時間僕の部屋で議論を交わしたが、最終的には、「有意義な議論だったな」と言いつつ帰って行った。こういう人とこういう議論が出来るのも研究者としてアメリカに渡って来たからで、また、信用してもらっているという事でもあろう。嬉しいやら、怖いやら。

スピンエコー装置はテスト実験をしているのだが、今日でその測定が終わった。この2日程は、かなり厳しい測定条件でテストを行っていたのだが、結果はどうやら今一のようだった。明日、もう少ししっかりと解析してみよう。

月曜日がICNSの論文提出の〆切なので、それについても考えているのだが、今ひとつうまい説明が書けずまだ完成しない。提出迄たどり着く事が出来るのだろうか。

2009年6月3日水曜日

03We. 気がつけば

気がつけば、6月。もうすぐ、今年も半分終わるんですねぇ。

ちょっと、ブログの更新をさぼっていました。この2週間ばかし、何をしていたか、と言うと、申請書書いたり、論文書いたり、発表準備したり、いろいろ。でも、どれも終わってなかったりして。

明日が中性子の実験の申請書の締め切り。僕の分はなんとか終わらせてさっき提出した。それ以外にも、今日になって4件程相談を受けて、対応していた。

この間いろいろあった気がするんだけど、あんまり思い出せないので、また明日からしっかり記録付けたいと思います。

2009年5月23日土曜日

23Sa. 網戸とテニスと野球

昨日、三男が網戸を壊したので、今日は朝から網戸の修理。ついでに、穴があいてる網戸も交換しようというわけで、Low's(だっけ?)に買い出し。お店のおっちゃんに、いろいろ聞いていたら、岩国のベースに行っていた事のある人で日本大好きらしく、いろいろ話が盛り上がった。

結局お店には、フレーム共の網戸はなくて、フレームになる金具を買って、自分でカットして作るという事が判明。仕方が無いので久しぶりに日曜大工。少々サイズがあわないが、まぁまぁ使えそうな物に仕上がった。

遅い昼食の後、次男と長女と一緒にテニス。ようやく次男の打ちやすいスポットがわかったので、今後は彼の練習につき合えるだろう。それにしても今日は暑くて、30分も続かなかった。まぁ、子供にしてみれば頑張った方かな。

その後、BBQ、カブトガニ見物、上原の登板試合の3つのチョイスの中から、上原の登板試合を見に行った。今日は、Washington Nationals vs Baltimore Oriolesで、DCでの試合。というわけで、電車に乗って球場へ。相変わらずチケットは持たずに出かけた。電車に乗ってみたらビックリするぐらい球場へ行くお客がいる。チケット買えるかどうか不安になりながら球場到着。駅から最寄りのチケット売り場は長蛇の列。球場裏にも別の販売所がある、というのでそちらへ向かった。それでも10分程度ならんで、なんとかチケットゲット。今日は$10の席にしようと思っていたのだが、それは売り切れていて、購入したのは$20の席。最上段。上から眺める球場も良かった。Nationalsの球場は新しく、綺麗なので、球場を見ているだけでも割と楽しい。上原は無失点だったのに3回で交代になってしまった。後は、両チームとも弱小球団なので大して面白くもない試合内容となった。残念。帰宅後ニュースを見たら太もも裏の痛みで交代したことがわかった。やっぱり怪我か、と思ったが、仕方が無いとはいえ、$20x5席で、目当てのピッチャーがあまり打たれず3回で降板というのは若干納得出来ないものである。ただ、この球場の名物、Presidents raceは割と面白い。これは、歴代の大統領の中から4人の大統領が選ばれて着ぐるみとなり、センターからライトスタンド前、ファーストベース辺り迄競争する、というもの。着ぐるみを着ているのと、意識しているのだろうが、動きが滑稽で、また、ハプニングが起こるので割と笑えた。球場は綺麗だが、野球を楽しむならカムデンヤードの方がいいかな、というのがやはり、結論である。上原さん、早く怪我を直してまた登板して欲しい所ですが、ここはしっかり怪我を直して欲しい。あまり焦って登板しない事を願います。

2009年5月22日金曜日

22Fr. 査読と打ち合わせ

朝から夕方迄ずっと査読。2編の論文で、なかなか大変だった。

夕方、PBさんと実験の打ち合わせをした。最近実験的に見つけた膜の形状揺らぎの話を少し発展させるため、PBさんのネタに少し近づいていこう、という事で話し合った。これで、次のプロポーザルラウンドのネタもできた。

21Th. 久しぶりの更新

久しぶりの更新です。ICNS以後何をしていたかと言うと、大半遊んでいました。

ICNSから帰った直後は、HSさんといろいろと打ち合わせをした。その後、こちらに来て初めて両親が訪ねて来たのでそれに併せて休暇を取っていた、というわけ。DC見物やナイアガラの滝見物等をしていました。天気を見ながら行動出来たのでかなり有意義に観光出来ました。両親滞在中は、「ほんとに仕事に行かなくても良いのか?」と何度も問われたものだが、職場に戻ってみても、皆普通に接してくれる。DNさんに「こんなに勝手な休みをもらってありがとう」と述べたら、「いやいや、それがいつも我々がする事だから何も気にしてないよ」ってな具合。こういう所も日本とは勝手が違う。

さて、休暇明け、やる事はいろいろあります。

スピンエコーの移設に関する検討、夏の学校の準備、次のプロポーザルに向けた研究の打ち合わせや検討、論文査読などなど。

今日は、装置のアナライザー周辺を少しばらして、アナライザの様子を確認。今の構成や構造だとミラーを新調するのがベストだね、という結論に至った。ついでに磁場も測定してみたが、着磁の時は350G程度だが、通常使用のときは50G程だった。通常の時意外に小さいのに驚いた。が、よく考えてみたら、そんなもんか、という事にも後で気がついた。

先日のIndiana大の件。こういう場合、常に推薦書が必要になる。DNさんに会って話をしたらその推薦書の締め切りが6/15であると聞いた。YF先生に推薦書をお願いしていて、「最近の研究について少しまとめて書類を作って欲しい」と頼まれていたので、それを作ってお送りしておいた。

そうそう。NHK(の番組制作会社)から「地球アゴラ」の出演者を捜している旨の連絡が(うちの研究所日本人会会長宛に)あり、いろいろメールでやり取りをした。この企画はオリオールズに来た上原投手に注目して、オリオールズもしくは上原ファンに出演してもらいたい、という事だった。シアトルとボストンからも地元に滞在中の日本人が出演するのだそうで、いろいろ話を聞きたいのだそうだ。僕が出たいかと言われると、それほどうまく該当していないので断念し、周囲にいる人達にいろいろ聞いてみた。が、結局自分の周りでは探し出す事が出来なくて、制作会社の方で別ルートで見つけた、という連絡をもらった。どんな番組になるのかは知らないが、6/7の放送だそうです。BS放送開始20周年記念の10時間(?)生放送のうちの2時間がスポーツ関係の枠だそうです。ご興味のある方は是非ご覧下さい。って、NHKの回し者ではありません。ただ、もしかしたら、こないだカムデンヤードで受けたインタビューが使われたりする可能性があるんじゃないかなー、と思っただけです。あ、、、何故KFJにアナウンスしなかったのだろうか…忘れてた。ごめん。

2009年5月8日金曜日

07Th. ICNS終了

今日でICNSは閉幕した。数々の発表を聞けたし、いろんな人と話も出来たし、なかなか有意義な会議だった。最終日には、日本からこちらに来て実験を続けているYSさんの発表があった。ベシクル上のドメインの拡散の話だが、とても良い発表で、聴衆も気に入ったようだった。今回は僕に関係するトークは彼女のと僕のと二件だったのだが、どちらもうまく行ったのはとても良かった。

Knoxvilleの空港へ行ってみると、Washington DC行きの便は軒並み遅れ。僕たちより1時間以上早いはずの、ナショナル空港行きの飛行機を待っている同僚がたくさんいた。僕は、Knoxville -> Charlotte -> Baltimoreの乗り継ぎ便だったのだが、Knoxvilleが遅れたため、Charlotteで乗り遅れるかと思った。ゲートに到着してみると既に搭乗が始まっていた。が、予想以上の混雑。carry on lugageとして、小さなスーツケースを持ち込んだのだが、収納スペースがなく、結局預け荷物になる始末。アメリカ国内の飛行機旅行はやはり、たびたびストレスがたまるものだ。

なんとかかんとか到着し、帰宅して久しぶりに両親に会った。両親が暫く滞在してくれるのである。

ところで豚フル。アメリカ国内での発生数を日数に対してプロットしたら、奇麗にexponentialに乗る。自然って凄いなぁ、と感心する。とはいえ、余り危険な感じがしないのは、かかっても余りひどくないからだろうか。それにしても、ICNSに参加した少数の日本人がこれから帰国される。空港での検疫の情報などが気になる。余り大した事もなく入国できると良いのだが。

2009年5月5日火曜日

05Tu. 発表終了

ICNSは昨日から本格的に開幕し多くの人々が参加している。聞く所によると、600人くらいの参加との事。でも、日本人は、10人そこそこで、多くの人がキャンセルした。残念である。

昨日は聞き手に集中し、今日は自分の発表があった。外国で行われる国際会議では初めてのオーラルトーク。日本で行われる国際会議とは少し違っているので、少々緊張した。持ち時間15分を少々オーバーしてしまった。が、発表自体は好評で質問も沢山してもらった。僕がセッションの最後の発表者だったので、発表後何人かが更に質問にきてくれた。こんな事、今まではなかった。また、ポスターセッションや、休憩時間などで知り合いの外国人ともいろいろ話が出来る。今まで参加した国際会議とは何となく違う雰囲気。

実験データ、研究の進み具合、英語の上達。どれをとっても渡米して来たからできた事。今日程渡米して良かったとしみじみ思った事はない。本当に嬉しい事であり、日本、アメリカあるいは他の国々で経験して来た事、支えられて来た事に感謝したい夜である。そして、今後ともますます精進しなければならないと改めて思う。

ところでインフルエンザであるが、会場にいてもそれを思い出す事はほとんどない。全く別の世界の出来事のような気がする。とはいえ、誰かが保菌者だったら全員感染するのかもしれないが、今のところそんな心配は皆無だ。

2009年5月3日日曜日

03Sa. Tennessee

とうとうテネシーにやってきました。

ボルチモア空港に向かい、駐車場に停車しようと、1Aの出口で出た所、雨のためスリップしたらしい車がジャンクションで停まっており、通行不能になっていた。直ぐにレッカーが来て対処してくれたので、正味15分程のロスで済んだが、少々焦った。

空港では、予想通りマスクをしている人は一人もいない。検査もいつもと変わらない。本当にこの国では豚フルが流行っているのだろうか。飛行機に乗っている人も多く、Charllotteからの乗り継ぎ便は、50人乗りが満席。少々拍子抜けである。

夕方会場に向かい、無事レジストレーションが出来ている事を確認し、welcome partyに参加。40-50分程いたのだが、出会った日本人は、4人。中性子散乱で国際的なイニシアチブを或る程度とっている国として、そんな人数で良いのだろうか?と疑問に思う。ヨーロッパからの参加者はそれなりにいるようであった。

明日からは本格的な学会です。発表は火曜日。果たしてうまく行くのでしょうか?練習しないと。

2009年5月1日金曜日

01Fr. 実験終了&論文投稿&出張準備

今日でMIさんの実験は終了。以前の再現性も取れたそうで、良かった。来週のYSさんの発表にも良い影響であると思われる。YSさんがICNSに書いている論文を読んで、少し修正と質問をした。

実験終了後、ここのところ書いていた論文を投稿をした。朝、PBさんに会い、論文に対するコメントを求めた所、「その前にお前の英語がなんて書いてあるのか教えてくれ」と皮肉られた。コメントとしては、面白いが、英語がよくわからない所があったので、完全に納得してはいない、というので、英語についての修正と内容の追加説明をした。その後、それなりにコンセンサスが得られたので、投稿することにしたわけである。どういう結果になるか。

その後、出張準備。豚フルの状況はより感染が広がっているわけだが、旅行や学会の中止に関する連絡は全くなかったので、日曜日から出張する事は変わりなさそうだ。ホテルや会場の情報をプリントした。その中で、Indianaの秘書さんからはregistrationしたから、と言う連絡があったので安心していたのだが、registrationが終了した旨の学会からの連絡がないことに気がついた。今更じたばたしても仕方ないので、現地で状況確認をすることになりそうだ。

2009年4月30日木曜日

30Th. SAS abstract

昨夜書いた小角散乱国際会議の要旨と論文原稿を再度AFさんに見てもらったら、やっぱりいろいろ修正があった。なかなか英語力が上がらない。まぁ、考えてみれば日本語でもいろいろ間違いがあるんだから、英語ならもっと間違いがあっても当然と言えば当然。それにしても、いつもいつもAFさんに見てもらっていては、彼の労力が気になり始める。やっぱり、教えてもらってるうちに上達しなければ。

明日でMIさんたちの実験は終了で、今夜測定する試料についての打ち合わせと、得られているデータについての議論などを行った。MIさんらの試料の小角散乱測定データの絶対値化の問題について、AJさんが修正してくれたので、解析し直してきちんと数値を得て、MIさんらに送信した。

論文を投稿しようと思っていたら、今日、PBさんが帰って来ている事に気がついた。彼にもdraftを見てもらっているので、彼のコメントを貰ってからにしよう、と、たびたび部屋に行ってみたのだが、いつも誰か先客がいるか、部屋にいないかで、結局今日はコメントを貰えなかった。明日に延期した。

小角散乱国際会議は明日が締め切りなので、今日AFさんからの英語の修正を貰った後、参加登録し要旨も添付した。

さて、豚フルについてcnn.comを見ていたら、過去の大流行のときの事が少し書いてあったので重要な所だけかいつまんで書いておく。過去の大流行のうちの3回の傾向について述べられていたのだが、最も重要なことは、その三回とも感染の流行初期においては、比較的マイルドな形で蔓延し(第一波)、その数ヶ月後に第二波がやってきて、そのときに多数の死者が出たのだそうだ。昔と違うのは、今は第一波が来ている間にワクチンの開発などを急ぎ、第二波が来る前に対処できる様に出来る可能性がある、と言う事。云々。

その記事の中にも書いてあったが、歴史は科学そのものではない(科学的な歴史の検証はありえるけれど)ので、同じ事が起こるとは言えないが、少なくともこれを参考に対処方法について全力を挙げて対応してもらいたいものである。

って、もし本当に強力な第二波なんて事があるのなら、今年の後半の出張は軒並みキャンセル、というか入れない方が良いのかも?でも、そんな不確定要素に引っ張られるのもしゃくだし。

最後に、昼頃DNさんがやってきて、先日のIndianaでの発表について、あちらのボスPSと話をしたよ、と教えに来てくれた。皆さん、僕の発表を気に入っていて、喜んでいるから心配ないよ、とのこと。そして今は、それ以外に必要なことの事務処理を進めているのでもう暫く時間がかかる、のだそうだ。なんにせよ、少しほっとした。

2009年4月29日水曜日

29We. 花粉症?

今日は久しぶりに気温が下がった。このところ連日35℃とかまで気温が上がっていたので一息ついた、と言う感じ。

何となく鼻が出るので今日は自宅待機した。もしかしたら、花粉症かもしれない。これまでも、ここ数年毎年春になると鼻が出る事が続いてる。熱が出るわけではない。今年は飛散してる花粉の量が多いからまたしても反応しているのかも。タイミングが悪い。フルの兆候は出ていないのでそんな話ではないのだが、何となく嫌な感じ。豚フルはとうとうWHOがフェーズ5に引き上げた。明日以降のアメリカ政府の対応が気になる。

元気は元気なので、自宅で小角散乱国際会議の要旨書きと論文修正を行った。どっちもほぼ出来た、と言う気がするので明日AFに少しみてもらって、どちらも投稿しようかと思う。

書き忘れていたのだが、2日程前にKM君が偏極中性子の国際会議に出していたプロシーディングスがアクセプトされたとの連絡があった。スライドリングゲルのNSEに関する初の論文になる。良かった良かった。

2009年4月28日火曜日

28Tu. 豚インフルエンザ

タイトルをどうしようかと考えたけど、やっぱり、今はこれでしょうか。

僕の情報源は、基本的に、日本のインターネットニュースです。アメリカでは日本の報道程迅速(というか、過剰?)でない、ように見えます。CDC (Centers for Disease Control)のホームページを見ると、一日一回情報の更新がされているようですが、日本のニュースでは、いろんな情報があって、便利です。昨日迄の過熱気味の報道に対して、今日は少し視点が変わった様な報道がされている様に感じます。一番重要なのはメキシコの情報なのですが、これがある意味あてにならない。昨日迄は、感染者19xx人、死者1xx人、で感染者に対する死亡率が7%程度だったのですが、WHOの鑑定を元にしたCDCの情報を見ると、確認された感染者26人、うち死者7人、となっています。全世界的に広がっているため、アメリカですら感染者は6x人です。メキシコでの感染者はもっと多いと思われますが、正確な数字が出てきません。これが判断を曇らせる要因ですね。メキシコ以外の国では死者はまだ報告されていません(アメリカではカリフォルニアで死亡した男性二人について可能性を検討中との事。でも、最初の調査では豚インフルウィルスは確認されていないとか)。で、今日の僕の結論は、豚インフルは確かに新型インフルエンザだが、蔓延している物の毒性はあまり高くない。放っておいてもかかる可能性のあるインフルエンザ。新型だから恐ろしいと言うが、通常のインフルエンザの方が毒性が高くて怖いのでは?ということ。もちろん、ワクチンがないとかいろいろ不安要素はある訳だが、かかってしまったら新型も旧型も関係ない???

今、この情報に敏感なのは、今週末からアメリカ国内の出張がある事と、両親が渡米する予定になっているから。僕の出張がこれを理由に取りやめになる可能性は非常に低い(万一WHOがアメリカへの渡航を自粛等という事になったり、学会自体が中止になったり)が、両親が渡米するのが取りやめになる可能性はある程度高い。何も、リスクを冒して迄来る事はない、と言うに決まっている。で、情報収集をしている訳だ。今の所は、まだ大丈夫だと思うので来て欲しいのだが、帰国後の飛行機の検疫を考えると、そう無理も言えないのも事実。嫌な時に厄介な問題が発生した物だ。

でも、この種の新型の病気というのはこれ迄の人類の歴史上でも沢山あったはず。そのような歴史から学べる事はないのだろうか。この辺りの事になると全く無知なのではあるが…

ともかく、今の所は、蔓延の様子、感染者の状態の情報を得て判断するしかない。結局様子見の受け身主義に変わりはない…

で、仕事の方は、午前中はNSEメンバーで話し合い。なんでも、うちの施設に配分される予算が減ったから偏極装置の購入を今年は見送る、という情報が入ったから。いつの間に予算が減ったのか、全く寝耳に水の話だ。移設のスケジュールを考えると、今年発注しておきたかったのだが、無念。これに伴い、他のパーツの購入についても難しそうな気配がする。というわけで、話し合った訳だ。

午後は、MIさんのデータ解析をした後、数編の論文読みと、論文検索。そして、SASの予稿書きを行った。SASの予稿は5/1が締め切りなのでもうすぐなのだが、発表する内容を検討していたら何となく行けそうな気配だったので、当初の予定通りの内容で申し込むつもりである。

2009年4月27日月曜日

27Mo. 静かな一日

MIさんの実験は彼らが順調に進めてくれている。

午前中は、VGSさんのポスターチェックと、自分の発表原稿チェック。それに、AFさんと少し打ち合わせ。午後には、DNさんらとも打ち合わせ等をした。夕方、論文原稿を眺め、修正をした。

もっぱら気になる事は、豚インフルエンザ。ドンドン拡大しています。日本のニュースを見ていると何となく危機感をあおられるけど、職場の人達はどこ吹く風。確かに、DCエリアではまだ確認されていないのではあるが。日本企業の駐在員が引き上げを検討、とか言われると、僕らはどうなるんだろう?と考えないでもない。まぁ、なる様にしかならないのだが、良い手が打てる様に考えるだけは考えておこう。

2009年4月24日金曜日

24Fr. ICNS準備つづき

昨年の9月に行われた偏極中性子国際会議のproceedingsが受理されたとの連絡があった。最終版の原稿を編集のKKさんに送った。

午前中MIさんの実験条件の変更とデータの解析を行った。decayは奇麗なのだが…

VGSさんから発表のポスターの修正版が送られて来た。あれ?まとめは?

午後は自分の発表原稿の作成に集中した。とりあえず前回の物理学会の発表原稿を少し修正した。後は少し色に手入れをした方が良さそうだ。ちょっと長いかもしれない。

夕方は早めに撤収し、ベランダで夕食をとった。今日は一日天気がよかった。夕食後再び実験条件変更のため職場へ行った。

2009年4月23日木曜日

23Th. ICNSの準備

午前中、MIさんの実験条件交換をして、データ解析を少し行った。coherentなシグナルが出ているデータについては相変わらず奇麗に測定ができる。その後、バックグラウンドの測定をかけて今日の実験条件変更は終わった。

昨日のSANSデータを再び解析してみたが、どうにも絶対値がうまく行かない。小角散乱グループのAJさんに相談してみた。どうやら、新しいシステムにした事で、ファイル上に書き込まれる情報が少し間違っている所があるらしく、そのせいで絶対値がうまく出ないらしい。ファイルを書き換えて返してくれることになった。

その他の時間は、VGSさんのデータとにらめっこ。彼女が頑張っていろいろ情報をくれているので、それをAFさんと相談しながら解釈をしていた。彼との間では随分コンセンサスが得られたのだが、まだよくわからないところがある。VGSさんはICNSのポスターの第一版を作って送って来てくれた。分量的には申し分ないし、説明したい事もよくわかるので、余り問題はなさそうだ。後は少し体裁を奇麗に整えて、まとめを入れれば大丈夫だろう。

夕方は娘の幼稚園での一番の友達の誕生会がある、と言う事で参加して来た。我々以外は全員ブラジル人と言う中だったが、娘の友達のご両親はとてもいい人で会話も弾んだ。彼らは今年母国に帰国するのだが、このまま離れてしまうのは惜しいので、帰国までにまた会う約束をした。

誕生会に行くまでの間、自分の発表原稿の手直しを少しした。時間の配分さえ問題なければ今のストーリーで良さそうだ。後はファイルの修正をして、練習すれば良いだろう。

2009年4月22日水曜日

22We. 実験開始

今日からMIさんの実験開始。まずは、SANSの立ち上げ。これまでは古いvaxのシステムを使って来ていたのだが、最近、新しいシステムが完成した、と言う話は聞いていた。それを、突然使い始める、と言うのである。否やはないので、勿論従ったのだが、起動は遅いし、いくつかバグがあるしで、まだまだこなれていない。新しいシステムの割には、哲学的には古い感じで、いい面もあるが、悪い面もあるような気がする。これから段々こなれて使いやすくなると良いのだが。実験の方は、YSさんの試料調整がうまく行って、比較的あっさりと進んだ。6時間程度の実験だったが、試料がよく出来ている事がわかって良かった。ただ、絶対値解析がうまく行かず、理由もわからなかったので明日までペンディングとした。NSEの方も同時に立ち上げで、夕方くらいまでは分解能測定に勤しんだ。その後、試料の測定をかけて今日のやるべきことは終了で、明日からは定常的な測定が進められそうである。

それ以外の時間は、VGSさんらと一緒にやった実験のデータ解析について彼女からいろいろ連絡があったので、それの対応。現時点でデータの解釈としてはどこら辺りまで可能なのか、と言う事を、主にメールでやり取りした。

また、発表準備も始めなければならないと言う事で、先日の物理学会の原稿を見直した。一方で、ICNSのプロシーディングスの締め切りがおよそ一ヶ月伸びたことがわかったので、これについては暫くペンディングで良さそうだ。次いで、9月にイギリスで行われる小角散乱の国際会議の締め切りが近づいて来た。元々発表を計画してた研究の方は余り進んでいないので、今頑張ってる分で発表するかどうするか真剣に考えなければならない。

2009年4月21日火曜日

21Tu. Monthly highlight

AFさんと一緒に、DNさんに話をしに行った所、DNさん曰く「NSEで何かhighlightに使えるネタはないか?」AFさんが応える、「それなら、MN(僕)のがいいんじゃないか?」云々カンヌン。で、結局今書いている論文原稿をDNさんに送る事に。DNさんも気に入ったらしく、今月のmonthly highlightに決定した。これで二回目。でも、前回はSlide ring gelのお話で、これは、日本から試料提供され、僕の働きはほとんど実験のみだった。それに比べて今回は全てが自作。というわけで、嬉しいわけである。このmonthly highlightは、うちの研究所内で発行される冊子に、中性子の施設からhighlightになるものを1件掲載する、ということで、とても栄誉な事である。こうなると、中性子で一番文章のうまいPGさんに原稿がわたり、とても素晴らしい文章となり、発表されるのである。これが自分のやった研究なのだろうか、と思う位、上手にまとめて下さるのである。英語のみならず、その文章読解力、洞察力そして、構成力に感嘆する。

MIさんの実験の準備で今日は試料調整をYSさんが行った。試料セルの準備や明日の段取りを少しして、明日からの実験開始を待つ所となった。

また、TKさんから電話があり、ICNSに参加出来ない事になった、ということだった。その他いくつか実験の事等も話をした。

そういえば、ICNSに参加して口頭発表をするわけですが、Proceedingsの締め切りが5/7?らしい。今度発表する内容の一部は今論文にまとめ中(上述)で普通の投稿論文にするつもり。でも、他にもデータがあるので、それで書こうと思っていた。さすがに締め切りが近くなって来たので、原稿作らなきゃと思い、夜になって、書き始めてみた。分量は4ページ。イントロを1段落ですませ、実験も1段落。結果考察で、図を二枚はめ込んで、表を一個つくって、書きたい事の半分くらいできた所で、怪しい雰囲気。とりあえず、参考文献を入れてみた所、ぴったり4ページでした。えーーー、こんなに書くスペースが少ないの!?って感じです。どうやってまとめようか…

2009年4月20日月曜日

20Mo. 実験打ち合わせと論文と

昨日MIさんとYSさんが到着して、今日は放射線取り扱いのトレーニングをしていた。午後には、彼らと実験の打ち合わせをした。

午前中は試料セルの洗浄を行い、午後実験打ち合わせが終わった後、AFさんに英語を見てもらいながら論文の修正を行った。また、二件の論文の査読が回って来た。

2009年4月15日水曜日

15We. 解析

朝メールチェックをしていたら、研究所の新しいバッチの支給に関して手続きが必要だ、との連絡があった。面接が必要だとの事なので、明日の午後の予約を入れておいた。

その後は、昨年12月と今年の2月に実験したデータの解析を行った。この実験は、濃厚マイクロエマルションの秩序無秩序転移に関わる運動性の変化を見よう、と言うもので、データの取り扱いがなかなか厄介なのである。昨年の12月に測定したときは、どうやらバックグラウンドの影響があってそのままではうまく行かないようであると言う結果だったので、2月にバックグラウンドがどのように影響するかを調べた、というものだ。もう一つ並行して行っている実験が面白くて、さらに、どちらかと言うと直感的に分かりやすいので、そっちを中心にこれまで解析を進めていたのだが、一応論文の原稿もそれなりに出来たので、そちらの解析に集中し始めた、と言うわけである。今日は、全てのデータを再解析し、バックグラウンドの影響を加味した結果、見た目には奇麗なデータとなった。後は、ここからパラメータを取り出せば良いのだが、うまく行くかどうか。楽しみである。これに関して、夏頃に、SAXS実験が行える様に手配を始めた。

2009年4月14日火曜日

14Tu. DLS demo

朝からDLSのデモがあったので参加した。簡易型のDLS装置で、backscattering (160 degree)の散乱角に現れる光を測定して、DLSを調べようと言うものだった。何が良いかと言うと、試料数がしこたま仕込めると言う事。底部を光学研磨したプレートを設置するのだが、そのプレートが最小384サンプル設置可能で、多いプレートになると、1000以上の試料を乗せられると言うのである。なるほどDLS装置にもいろんなものがあるものだ、と思いながら説明を聞いていた。散乱角が高すぎるのが少々気になる。それに、レーザー光は底部から鉛直上向きに照射されるのだが、埃が入ったりしないのか少し不安な点もある。説明してくれた人はその心配はないと言うのだが。後は、メニスカスで反射した光が邪魔したりしないのかとか。たぶん、きちんとコリメートされているのだろう、説明者はそれも問題ないと言っていた。ダイナミックレンジは広いようなので、簡易測定には便利な装置かもしれない。

その後、部屋にこもって論文修正を行った。英語の見直しと内容の見直し。基本的には、英語を修正して分量を減らして、その分、内容を膨らませる、と言う作業。一日いろんな角度から見直したので、随分良くなったような気がする。後は英語を直してもらって、少々コメントを貰ったら投稿したいものである。

2009年4月10日金曜日

10Fr. Tax

朝からTaxの説明会に行って来た。勘違いもあって、少々間違いもあったのだが、最終的にはまた少し深く税金申告について理解できたので良かった。

午後は部屋にこもって論文の修正をしていた。dimensional analysisからfit parameterについて少し理解が深まって良かった。相変わらず英語がしんどい。

5月のICNSの宿泊と飛行機の予約の手配をした。ホテルは取れたようでよかった。夕方から週末にかけて、NYからTKさんご一家がいらっしゃるので帰宅し、大して役には立たないが準備をした。妻がよく頑張ってくれるので助かる。今夜は久しぶりの焼き肉。美味しく頂いた。

6月のTKさんとの実験の試料についてトラブルがあった旨の連絡があった。実験はやはりそう簡単ではない。

2009年4月8日水曜日

08We. 上原

職場に顔を出してメール整理をし、少しぼんやりしていた頃、HFさんからメールがあり、今日上原が登板するからボルチモアに観戦に行くと言う。昨日が登板日だと思っていた僕はチケットを押さえていなかった。ネットで調べてみると、まだまだ空席がありそうだったので、仕事をそっちのけして帰宅。家族を連れてボルチモアへ向かったのでした。案の定、結構良い席が普通に買えて、上原の初登板試合を観戦することができました。

球場で少しうろうろしていたら、NHKの撮影クルーに呼び止められ、インタビューに答えました。放送される事はないだろう、と思いますが、やっぱり、上原の初登板試合ということで、日本からの注目度も高いんだなぁ、と感じました。試合開始前のウォーミングアップ、上原さんは緊張の面持ちで、スタンドからの声援に余り反応してくれませんでした。でも、次男が大声で声援を送った結果、彼に手を振ってくれました。次男興奮。

注目の上原対松井は、今日のところは上原の勝ち。なんだか、松井さんバッティングの調子が今ひとつのようでした。上原は、最初は硬くなっていたようですが、徐々に緊張も解けて来たようです。でも、モーションを盗まれやすいようで盗塁を許していました。もう少しなれてくればこれも減って行くでしょう。最初の登板としては上出来ではないでしょうか。楽しく観戦できました。

で、観戦中に、何やらを配る連中が現れて、我々に渡してくれる。合計4つ貰いました。最初は何かよくわからなかったのですが、周りの人がそれは飛行機のチケットだよ、と教えてくれました。なんと、ボルチモア空港からニューヨークへの往復航空券が当たった、と言う事でした。それも4人分。有効期限は来年5月まで。次回のニューヨーク旅行を計画することになりました。こういう事があるので、皆さん是非球場に足を運びましょう。なんとも、今日はラッキーな観戦となりました。HFさん、情報ありがとう。

07Tu. Indiana to Maryland

一日中車での移動だった。片道およそ10時間かかるのだが、帰りは何カ所か寄り道をしたので、結局、朝9時に出発して、家に着いたのが22時過ぎだった。そのほとんどを妻が運転したので僕は楽だったのだが、彼女もよく運転できる様になったものだ。

ルートは、Bloomington→Nashville→Indianapolis→Centerville→RichmondとIndiana州でいろいろうろうろした後、高速道路に乗って、I70→I470→I70→I79→I68→I70→I270と乗り継いで帰って来た。全部で700マイル超。 IndianaからOhioの途中までは広い平野の中のドライブで、牛やら馬がよく見られた。Ohioの東付近から少し高度が上がり、West Virginea、Pensilveniaにかけて、高度が上がる。West VirgineaとMarylandの州境は山になっていて、春だと言うのに生憎の雪。道路にも若干つもりかけていて山頂付近は少々怖かった。そこを超えると、up-downもあまりなくなり、すんなりと車を走らせる事ができた。レンタカーのつもりが車がなくて借りられず、自分たちの車で行ったのだが、無事行き帰りできて良かった。何しろ既に10万マイル以上走っている車なので心配していたわけである。

Indianaでは、また夏にでもおいでと言われているので、今度はもう少しゆっくりと滞在したいものである。IndianaはMarylandと雰囲気が違っていて、新鮮な気がした。

2009年4月6日月曜日

06Mo. IUCFセミナー

今日は、僕の所属機関である所の、Indiana University Cyclotron Facilityでセミナーをした。また、Facultyメンバーと懇談した。

まず、気がついた事は、Indiana Universityが州立大学だと言う事。実は、僕はずっと私立大学だと思っていた。何故か。それは、昔この大学について調べていた時に、この大学とは別にIndiana State Universityというのが存在する事に気がついたからだ。今日いろいろ聞いてみたら、このいずれも州立大学なのだそうである。確かにIUは大きな大学で学部学生が6000人とか、9000人とかいるらしい。少なくとも、僕が通った大学よりはかなり大きい。T大と比べてもどうなのだろう。まぁ、自分の所属する大学が私立か州立かも知らないという、恐ろしく怠け者なstaffであるが、今回の訪問でいろんなことが知れたので、まぁ、これからはIUの人間としてもう少し自負しても良いのだろう。

IUでのボスである、PSとの面談から始まって、物理科の主任VK、理論物理屋のHFら、それから、PSグループの学生、ZY、昼食後は、核物理屋のES、CLそして、サイクロトロン施設の中性子ターゲットの設計者DB、それから、DPBに続々面会。その後午後4時から1時間程のセミナーで、最後に、LENS(Low Energy Neutron Source)施設の見学をした。非常に中身の濃い一日であった。でもまぁ、セミナーも含めてなんとか無事にこなせたのではないだろうか。ちょっと肩の荷が下りた。ESさんに核物理の実験について少し紹介してもらったのは、わからないながらも、面白そうなものであった。ニュートリノと電子や陽子の結合定数がどのような値かを調べる、と言った類いの実験で、彼の物理のセンスを垣間みれるものであった。期待していた、RPとの面談はなかった。彼は何でもノルウェー国王から表彰を受けるために不在なのだとか。会えないのは残念なのだが、すごい話だ。

このような面談は、アメリカでいわゆる面接を受ける時には一般的なもので、セミナーとスタッフとの面談が一日、多い時には二日にわたって行われる。今の研究所に入った時には、このような面接はなかった(今のボスの一存で決まったため)ので、今回のは新鮮なものであった。こういう面接をすると、その後採用された時にすんなりと馴染めるのが良いのだろう。

4月と言うのに、みぞれが降る寒い一日であったが、夕方には少し晴れ間も見えて、IUキャンパス周辺も奇麗であった。夕食は、ZY君にメキシカンを買って来てもらい、ホテルでしゃべりながら一緒に食べた。まぁ、アメリカにいるのだから当り前なのだが…英語三昧の一日であった。

2009年4月3日金曜日

03Fr. 集中力が…

いよいよ、月曜日にIndianaで発表する。もう日がない。今日は一日中発表準備に勤しんだのだが、何故か集中力は途切れ気味で、発表スライドは作ったものの、英語での発表原稿がなかなか追いついてこない。練習してみるのだが何ともしどろもどろな感じで、ものすごく不安だ。時差ぼけで常時眠いと言うのもあるが、何か別の原因もありそうな気がする。不安だが、この不安は練習してぬぐい去るしかない。やっぱり英語って言うのは難しいなぁ。というか、きっと僕の言語能力が一杯一杯頑張っててもこのくらいなのだろう。まぁ、焦ってもしょうがないので、なんとか落ち着いて乗り切るのみだ。がんばろう。

2009年4月2日木曜日

02Th. やっぱり疲れてるらしい

朝、起きようと思ったのだが、体が思う様にならず、結局、昼頃まで寝ていた。やっぱり疲れているらしい。

午後職場へ行ったが、余りする事もなく、机に向かってひたすらインディアナでの発表準備に勤しんだ。先日受賞講演した内容で話すつもりなのでスライドは大体準備できているのだが、話の流れなどを再度見直さなければならない。それに、講演時間も長い予定だし、少し膨らませる予定である。

夕方頃、TKさんから電話があって久しぶりに話をした。内容は、6月の実験日程に関わる事だった。

帰宅後は相変わらず、税金の申告書と格闘したが、大体終わったので、後は清書するのみだ。間に合いそうで良かった。

2009年4月1日水曜日

01We. 出勤

朝から普通に出勤した。

まずは、事務室に出向いて、メールで連絡のあった件について書類を貰った。内容は大した事はなかったので全く問題ないだろう。その後、レンタルコンピュータを返却して、スクリーニングをしてもらい、問題がなかったので、ファイルをダウンロードして、自分のコンピュータに入れた。

久しぶりの自分の仕事環境は、やっぱりほっとする。レンタルコンピュータの環境では全く仕事をする気にならなかったので、あれはやっぱり弊害だと思う。

JSGさんとAFさんと日本の事や、こっちでの出来事などを少し情報交換した。一番重要だったのは、MHさんに質問した、アナライザミラーの技術的な問題に関する事。共通認識をNSEメンバーで共有できたので良かった。MHさん、ありがとう!その後、装置周りを少し片付けて、メールの整理や日本での物事を整理していたらあっという間にお昼になった。

午後は、眠くてどうにもコンピュータに向かってられなかったが、丁度眠りに落ちそうな時、DNさんが通りかかり、話をする事ができた。彼には、日本での様子の報告をして、授賞式で頂いた賞状を見せた。当然すべてが日本語なのでわかる訳もなく、「うーん、奇麗だ。良かった」程度で終了。

AFさんと論文の件で意見交換。やっぱり彼は賢い。頼りになる奴だ。

眠いのでさっさと帰ろうとしていた所、うちの施設のdirectorであるRDさんがやって来て、「おめでとう、賞状があるんだって?見せて」という。当然見せた所、「おー、日本語だ。で、なんて書いてあるの?」と。フォーマルな日本語は理解できますが、それをフォーマルな英語できちんと説明する事はとても難しく、「まぁ、こんな感じな事をフォーマルに書いてあります。フォーマルな英語の場合を想像してみてください」という、説明になってるんだかなってないんだか、と言う説明でした。でも、とても喜んでくれて、「僕らもとっても嬉しいよ。今後も頑張ってくれ」と言われた。まぁ、言われなくても最善を尽くすのだが、そう言われるとまた、嬉しいもので。

締め切りが近づいて来ているので、帰宅後は税金の申告書類とにらめっこ。が、眠い。

体調は、80-90%程度まで回復したようである。

2009年3月31日火曜日

31Tu. 帰米

アメリカに戻ってくる事はなんて言えば良いんだろう、といつも悩む。

日本での日程を終えてアメリカに戻って来た。日本での29日以降の事と、帰米後のこと。

29日は、午前中、HSさんと一緒にKS君の論文についての議論をした。急遽サンシャイン60の展望台で行うことになったのだが、天気もよくて眺めもよく、議論も良かったのではないかと思う。ところで、28日の夜は、飲み会中にどうしようもなく眠くて30分程熟睡してしまい、その後復活。ホテルに戻った後、どうにも眠れず、結局朝まで一睡も出来ないと言う恐ろしいことになってしまった。。。

午後、物理学会の会場に顔を出し、直ぐ池袋駅にもどり、K大のMHさんと合流、アンデルセンで議論した。僕が質問したいことがあると言う事であってもらって、いろいろ質問して情報を提供してもらった。その席で、MHさんからも質問があったのだが、それは昨夏の研究会で少し触れた議論について正確に把握したいから、と言うものだったのだが、どうやら僕が勘違いしているらしいことを指摘され、赤面ものだった。やっぱり、思い込みって怖い。

その後、夕方にアメリカでお世話になったHIさん、TTさんと合流して、久しぶりに飲み、八王子へ移動しHIさん宅でご厄介になった。

30日はHIさんの職場であるTY大に見学に行く予定だったのだが、朝から高熱で、動けず。いわゆる無理がたたった自爆熱。結果、その日一日をHIさん宅の寝床で過ごすことになってしまった。夕方にはS大のYKさんとも会う予定だったのだが、キャンセルとなってしまった。

31日の朝、体調は万全とは言えなかったが、薬を服用して熱を抑え、なんとか空港までたどり着いたのだった。南大沢から成田までバスを利用したのだが、道路もそんなに混んでおらず順調に成田にたどり着いた。空港の搭乗口まで行くのが割と大変で額に汗する始末。体調不良はつらい。しかし飛行機に乗る頃にも熱はぶり返さず順調にフライト。珍しく酒も口にせず、ひたすら体力の回復に努めた。その甲斐あってかワシントン到着後も熱はなく、普通に車を運転して帰る事ができた。飛行機では一睡もせずずっと映画を見ていたので、自宅で少し静養。夕方子供たちが帰ってから裏庭の掃除をした。

夜、メールを見ると、何やら研究所のguest researcherの手続きに関する事で今日中に連絡が必要だったらしい事が判明。日本に居るときは4/2までに手続きをすれば良い、と言う事だったので安心していたのだが、期限が短くなったとの事であった。熱で魘されていた事、フライト中だった事などで情状酌量の余地は十分あると思うが、明日職場でどれだけ書類を作らねばならないのか戦々恐々である。戻って来てすぐにメールを見とけば良かったと反省しきりだ。それにしても最近、締め切り直前での重要事項の連絡が多くて困ってしまう。

いずれにせよ、戻って来たので明日からは平常に戻る事となろう。日本でお世話になった皆様、本当にどうもありがとうございました。

2009年3月28日土曜日

28Sa. 講演終了

27日、28日と講演をした。27日は、膜のダイナミクスの話で、講演終了後、理論の人たちがいろいろと質問に来てくれた。好評だったのだろうと思う。28日は本題の講演だった。準備不足が少々否めず、評判としては、良し悪しだった。でも、終わってしまったので仕方がない。この28日の講演は、受賞講演で、本来なら会えないような人も聞きに来てくれたのはとてもよかった。物理学会なので、いろんな人にも会えて、とてもよい。たまに帰ってくるのは悪くないなぁ、と思う。物理学会から賞をいただいたので、今後のプレッシャーは増えないではないが、平常心で今後も精進していきたいと思う。

これまでお世話になった皆様、大変ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2009年3月26日木曜日

26Th. 日本到着

14時間のフライトを終えて、日本に到着しました。昨夏以来の日本。東京はやっぱり人ごみです。最初の発表は27日だから、準備する余裕はあるや、と思って、出発した25日朝。到着したらもはや26日の夜。うーん。あんまり時間はないですね。とりあえず、少し練習をしましたが、やはり眠い。

今夜は、お寿司をいただきました。六本木駅周辺をうろうろして見つけた小さな回転寿司や。それでも、十分おいしい。久しぶりにおいしいすしを食べながら、家族に悪いなぁ、と思ったり。まぁ、仕事だから勘弁してね。

アメリカからの飛行機では、NIHにて働いていらっしゃる方々とご一緒で、楽しく過ごせました。お世話になりました。機内では、映画を二本見て、後は論文読んだり。あまり寝ることもできませんでした。ふと飛行機の下を眺めたら、流氷が見えてきれいでした。考えてみたら、今まであんまり気にしていなかったなぁ、と思いつつ写真に収めたのですが、電池切れでパソコンにつなげませんでした。

さて、明日からは学会。いろんな人と話したり、実験ねたを仕入れたりしなくっちゃ。

2009年3月24日火曜日

24Tu. 旅行前日

午前中、うちの施設のexpansion projectに絡み、NSE装置が移設するので、その移設担当の施設の人と装置の詳細について打ち合わせをした。その後、装置担当者3人で、今後分担する事などを相談した。

発表の最終準備をし、読み物のプリントアウトなどをして、早めに撤収した。自宅で持って行く荷物を詰めた。どうやら日本は週末冷えるらしいので、暖かい格好で行かなければ。

また、数人の方に、物理学会であって話が出来る様にメールを送っておいた。

さて明日は飛行機である。成田空港のA滑走路も使用できる様になったようなので、無事到着できることを祈るのみである。

2009年3月23日月曜日

23Mo. 旅行準備

週末は実験と家庭サービスとなんとか両立しながら過ごし、本日の朝、実験は無事終了。解析の結果、求めていた様な運動はないらしい、という事がわかった。少し残念だが、そういうのが見られるかどうかを調べるだけでも充分楽しい実験だった。

今日からAPS組も全員職場復帰。いろいろAPSのことを聞いたり、実験の様子を喋ったりしていた。

発表準備をしつつ、旅行準備に勤しんだ。プリントアウトするもの、レンタルコンピュータのセットアップ、留守中にお願いする事の手配等。

大体準備もできて来たかな。成田空港では滑走路が使用出来ない状態が続いていたようだが、そろそろ解消しただろうか。明日は、直前に行っておくべき事をしっかりチェックしてボスと話をして、水曜日には飛行機だ。持って行く荷物の準備は明日の夜だなぁ。スーツが無事入るかどうか、それだけが心配だ。

2009年3月20日金曜日

20Fr. oral talk

朝からデータ解析などを行った。やっぱりデータは奇麗に出ていて、測定は段々佳境に近づいて来ている。明日の朝には、真に求めているデータが得られるかどうかがわかる。楽しみ。

原子炉は日曜日で止まる予定だったので、それなりの測定をかけていたのだが、本日、月曜の朝6時か9時頃まで動くと、アナウンスがあった。12時間程得したことになる。それを踏まえて、もう一点、不完全だが条件を増やした。測定をかけている時に、プログラムのバグを一つ発見した。測定には余り影響がなかったので良かった。もっとも、気がつくのが後少し遅れたら、やばかったかも。作者はAFさんなので、彼がAPSから帰って来たらその旨伝えよう。

KS君から、データ解析の進捗についての連絡があり、うまく行けばこれもまた面白い話になりそうだ。

YKさんから先日のメールについての返事があった。彼も忙しいようであるが、すんなりと情報が受け入れられた所を見ると、理解しやすい話の流れなのだろう。

5月にオークリッジで行われる中性子の国際会議にoral preferで登録していたのだが、本日連絡があって、oralとしてプログラムに組み込まれた事がわかった。嬉しい限りである。しっかり準備して行こう。今度の日本での発表でその反応の程度を見ることができるので、そのときの話を参考に再び構想を練ることになろう。

夕方帰ろうと思ったら、ガイドホールにMKさんがいたので少ししゃべった。彼女ももうすぐ帰国である。

夜、自宅に戻って子供たちを寝かせた後、論文書きに勤しんでいる。結構奇麗なデータを並べられたが、内容はどうであろうか。これから読んでみる。

2009年3月19日木曜日

19Th. 静かに一日

朝から引きこもり。日本での発表準備をしていた。AFさんから論文原稿が届いて、コメントを求めていたので、直に読んでコメントを送った。

午後、解析と発表準備とを続けた。発表準備は9割り方できた。細かい所を調整すれば後はなんとかなるだろう。実験データは順調にでている。思っていたのと少し違う振る舞いが出て来たりしている。最終的にどうなるのか楽しみである。

夕方、KHさんの送別会が自宅であるので帰ろうと思ったら、TKさんから電話がありしばらく話をしていた。その後、自宅に戻りKHさんの送別会でNJ会メンバーが集まった。急な集合要請だったにもかかわらずみんな来てくれた。送別会としてはどうなのか分からないが、楽しく送別出来た。最後、握手して別れた。またいつか会いましょう。

2009年3月18日水曜日

18We. きれい

今やってる実験のデータがきれい。凄くわくわくする。やっぱり、すごくいい環境にいるんだなぁ、とつくづく感じる。是非良い論文にまとめたいものである。実験は長時間のスキャンなので、時々装置と試料の様子を見に行く事と出て来たデータを解析するくらいなので他の事をする余裕もある。

日本での発表のうち、一件はほぼ完成した。もう一件は40%程度か。なかなかモチベーションが上がってこない。やばい。なんだか、それよりも今実験しているのをまとめたいと言う気持ちがうずいてしまうのである。。。

夕方散髪に行って自宅に戻ったのだが、どうにもわくわくするので、論文を書き始めてしまった。introを一気に書いたが、読んでみると、やっぱり文脈が悪いなぁ。。。

先ほど、MSさんがincoherentの論文を投稿したと連絡があった。こちらも奇麗に仕上がったのだが、さてレフリーはどういう反応をするだろうか?

2009年3月17日火曜日

17Tu. バグ再び

MSさんから論文原稿に対するコメントの催促があったので、急いでコメントを送っておいた。夜には返事が来て、それにも返事を返しておいた。

日本での発表準備をしながら、今回のデータを解析していた。ある程度思ってるようなデータで良いのだが、早く次が見たい。その解析中、以前測定したYKさんのデータを思い出した。あのときも膜の弾性を測定したのだが、なんだかおかしな振舞をしていたのだ。そのデータを見て、今回得られているデータとあわせて考えてみると、同じような振舞が見られているらしい事がわかった。データは完全ではないのだが、その振舞を見ている事は間違いないだろう。ということで、ざっと見積もって、YKさんにその旨連絡した。

2007年に測定したデータを今回のデータにあわせてプロットしてみた所、どうもおかしい。緩和係数の値が数倍違うのだ。何でかなぁ、と思いつつVGSさんの事を思い出した。まさか、と言うつもりで再度解析してみたら、大まかに重なるデータが得られた。これもバグの問題だった。以外に大きな違いが得られるのは困り者である。皆きちんと再解析していてくれると良いのだが。

夕方、もうすぐ日本に帰国するKHさんと会っていろいろと話をした。彼は因島の出身で郷里が近いので親近感も覚えていたのだ。その彼も日本に帰ると言う事でまた寂しくなる。勿論、日本での訪問先がまた一つ増えると言う意味では良いことなのだが。

夜中には日韓戦、と思って楽しみに待っていたのだが、ESPNではずっとバスケットボールを放送している。昨日はキューバvsメキシコをやっていたので、今日もやると思ったのだが。残念。御陰でデータの最解析は終わったのだけど。。。

2009年3月16日月曜日

16Mo. 順調

朝、comcastの請求書を見ながら、なんでそんな金額になるのかと、問い合わせた。なかなか伝わらなかったが、最後にはなんとか分かって良かった。ついでに電話のノイズがひどいからと相談したら、とりあえず、技術屋さんをよこす様に手配をしてくれて、さらに、電話担当の人につなげてくれた。電話担当の人は、何言ってるかよく分からなかった。それにこちらの話もあまり聞く気がなかったらしい。さっさと切り上げた。

職場に向かってたら、交差点のど真ん中にパトカーがやって来て、いきなり止まった。何事かと思っていたら、どうやら交通整理をしていたらしい。その後、パトカーに守られた黒い車の一団が。大統領だったのかな?

午前中は、論文を読みつつ、先週迄の実験の片付け。一瞬小角散乱のセルが見当たらなくて焦ったが、全て見つかって、元に戻した。VGSさんの試料をpolymer divisionに持って行き、DSCの測定をお願いした。その後は、いくつかの論文とにらめっこしながら講演の論文のストーリーを考えていた。

また、MSさんからの論文原稿に目を通した。どう言うコメントを送れば良いか少し考えている。午後と夕方には測定の条件変更をして後は、うまく行けば日曜日迄連続測定だ。

今週はAPS(アメリカ物理学会)なので、人が少なかろうと思っていたが、思ったよりは沢山人が残っている。

15Su. NSE実験

日本がキューバに勝った。良かった。ちょっとしか見れなかったけど、なんか、キューバはあんまり強そうに見えなかったなぁ。

今日も実験で、午前中一旦周辺磁場環境が変わる、と言うので測定を止めて、再度スタートさせた。磁場環境変化の影響はロスタイム20分を除いては、ほとんどないようだ。

夜、実験条件を変更した。その後、変更前のデータを解析してみた。予想通りな部分と予想に反した部分の触りが見えている。今後1週間でその辺りがはっきりしてくるだろう。やっぱり、実験やってるときは結果が楽しみで仕方がない。

また、日本での発表のうちの一件について85%くらい完成した。もう一件の方は、10%くらい。準備が進んでる方が最近やってる研究で、10%程度の方は以前の研究のまとめ。でも、実はこっちが本題で日本に行くのだが、過去の研究になるとやはりモチベーションが少し下がってしまう。ただ、今回はそんな事言ってられないので、しっかり作らなければ。

2009年3月15日日曜日

14Sa. NSE実験終了&開始

VGSさんの実験は様々な紆余曲折の結果、意味ありげな結果が得られ、最終的にはストーリーになりそうになった。脂質系のNSEについても、僕自身、大分理解が進んだような気がする。彼女といろいろ議論しているうちに、新しい実験計画についても考えついた。もっとも、それは僕の進めている別の研究の理解が進んでからなのだが。

その研究についての実験を夕方から開始した。

また、日本物理学会での発表原稿を作り始めた。最近うちの研究所では、海外に自分のパソコンを持ち出せないので、windowsを借りて行くことになるのだが、それではkeynoteで作ったプレゼンが使えない。keynote→powerpointの変換をすると、時々おかしなことになるので、念のため新たに作り直すことにした。全体のストーリーも再考して作り始めたのだが、うまくしゃべれると2件ともそれなりに面白そうな話に仕上げる事ができそうかな、と思えた。

MSさんからincoherentに関しての進展の連絡があり、改訂版の論文原稿が届いた。検討せねば。

2009年3月13日金曜日

13Fr. バグ

朝職場に顔を出すなり、去年のデータの解析を行う。なんと、去年測定したデータの結果が変わってしまった。いろいろ検討した結果、去年解析した時にはソフトのバグがあったのだが、それに気づかずにいた、という事が分かった。これまでそのバグの影響は殆ど無いと思っていたのだが、意外に大きな違いがあったので皆で驚いていた。とにかく、解析をやり直した所うまく行く事が分かったので、事なきを得た。

膜の運動について少し詳しく調べてみたら、いくつかシミュレーションの論文が見つかり、そこに、知りたい事がいろいろ書いてあったので論文読みにふけった。

夕方、明日から始める自分の実験の為の試料準備をした。

12Th. 去年のデータ

今日は悪いニュースからだった。去年測定したデータと今年測定しているデータの整合性が良くないというのである。この点は多少気になっていたのだが、まぁ、そういうものなのだろうと思っていたのである。共同研究者らは納得出来ないらしく、再測定をすると言う。まぁ、確認の為なら良いんじゃないか、と同意した。夜になり一部の測定の結果が出たので、見てみると…同じ試料なのに違う傾向が見られる。困った事になったと思いつつ、今回のデータと去年のデータを比べてみたら、去年のデータが何やらおかしな振る舞いをしている事に気がついた。去年のこの実験のときは、体調が悪くて自分で解析する元気がなかった事を思い出す。結局夜中迄かかってVGSさんと議論した結果、明日の朝去年のデータを再度解析してみる事になった。その間、測定は継続する。科学研究とは、一筋縄では行かないものである。

それ以外には、Indiana大学に提出する報告書の原稿を作ったり、日本での発表に関して、過去の発表原稿を見ながらストーリーを考えたりした。物理学会では座長もする事になっているので、担当の人達の要旨をダウンロードして、勉強に備えた。それにしても、ざっと読んでみた限りでは、過去の発表の流れをついでの発表、というものも多々あり、3年も(もっとかな?)参加していない学会だから、分からない事も多かろうなぁ、と心配になった。まぁ、なる様にしかならないであろう。でも、プログラムを見ていると、知った名前が割とあって、皆に会える事が楽しみになって来た。今回は実家迄は立ち寄れないので、両親は不満もあろうと思うのだが…

2009年3月11日水曜日

11We. 頭痛

午前中はまだましだったのだが、昼食前くらいから段々頭痛がして来てしんどかった。

朝メールを開いたら、TM君から実験結果についての報告があった。追って、MSさんからメールが来て、論文が改訂されていた。少し考えて質問を送っておいた。

VGSさんやAFさんと実験経過や過去のデータとの整合性などについて話し合いをした。DSCの結果も届いて、今の組成で問題なく測定できる事がわかった。昼食後は暫く自分の研究のことを考えていた。その後、ZY君の論文原稿を読んでいたら、書き方がかなり変更されていて、しかも論点が変わっていた。途中まで読んで、その点を正すメールを書いておいた。頭痛も段々ひどくなっていたのでぼちぼち帰ろうかとしていた所、VGSさんがやって来て、データについて議論する事に。膜のダイナミクスの見え方について教えていたら、何となく自分の実験結果を紹介することになった。面白いと言ってもらえたので良かった。その結果も加味しながら今測定しているデータについて考えて、ある程度話の持って行き方も見えて来たようだ。

その後、どうにもやる気になれなかったので、自宅に戻り、ベッドに潜りつつ2編の論文を読んだ。

2009年3月10日火曜日

10Tu. ゲラ校正

朝、研究所の論文チェックが帰って来ていたので、ZY君に連絡した。その直後、その論文のゲラ校正が届いたと、DPBさんから連絡があった。早速ゲラ校正を開始。途中いろいろと中断される事があり、結局終わったのは夕方だった。

その間、スピンエコーの試料交換やら、Polymers divisionに出向いてDCS実験の打ち合わせ等を行った。小角の解析や発表の準備はなかなか進まないなぁ。。。

09Mo. SANS解析

小角散乱の実験が土曜日に終わり、データ解析を行った。相変わらずデータのfittingが難しい。というわけで、今日は一日どうやって解析するかを考えていた。合間に、スピンエコーのセッティング交換や、試料の準備等を行っていたら、一日が終わった。

丁度日本から会社の人が実験に来ているので、昼食を一緒にカフェテリアでとった。

そろそろ発表準備を始めないとヤバいなぁ、と思い始めた。

2009年3月7日土曜日

06Fr. SANS & NSE実験開始

朝職場に行ったら、試料の準備ができていないことが判明。急いで試料準備を始めた。何でも、木曜日にやった調整が今イチだったらしく、やり直していたら時間切れになった、ということらしい。試料準備、セル準備、装置立ち上げ等をAFさんと二人でこなし、NSE測定を10時頃開始。最初は分解能測定なので試料は不要だから問題はあまりなかった。試料準備を続け、3時頃SANS測定を開始。実験が軌道に乗り、時間が出来た所で昼食?となった。5時頃だった。やっぱりSANSはなんだかんだと忙しい。

9時頃一旦家に帰り、11時頃再び実験に。SANS結果をざっと解析したら何やらシグナルが変。丁度、ILLからLPさんが来ていて、そんな夜にもいたので、ちょっとチェックしてもらった。どうやら解析の間違いらしい事が分かり、その後やり直してみたら問題なかった。何が違っていたのか全く分からなかった。不思議だ。

結局1時頃帰宅。土曜日も測定が続くが、午後迄は職場に顔を出せないので、VGSさんに後の事をお願いした。

2009年3月5日木曜日

05Th. セミナーと実験準備

MIさんの実験の試料が届いた。冷凍庫に保管。

午前中は、Polymers divisionであったセミナーを聞きに行った。固体NMRを使って、ペプチドだかアミロイドだかの構造を決めた、と言う話だった。ファイバーを作るのだが、そのファイバーのマクロな形態が数種類あるのだそうだ。分子が3回対称を作って、それがファイバー状に伸びていると言うのが、どうやら、一番良く出来やすいものらしい。ちょっと不思議だった。

午後は、明日からのSANSとNSEの実験準備。この実験は、ISISのVGSさん、当研究所のHNさん、AFさんと僕で進めているもので、2回目の実験である。出身地がそれぞれ、スペイン、アメリカ、イタリア、日本ってことで、外国暮らしならではの共同研究である。このメンバーでの実験は楽しい。今日は、ベシクルを作る作業を行った。明日にはVGSさんも合流して賑やかに実験がスタートになる見込み。この試料、DSC測定も行いたいので、午前中のセミナーの後、DSCを借りる算段を相談したかった、と言うこともあって、セミナーを聴きに行ったのである。DSCは来週には出来そうな感じだった。

2009年3月3日火曜日

03Tu. interview

また一つ歳をとった。

今日は午後からinterviewがあったので、午前中はその準備に追われた。interviewというのは、うちの研究所のscience writerがやってきて、アメリカ物理学会でいくつかの研究について一般の人に説明する、ということで、東京からやってくるKM君の発表について話を聞かせて欲しい、というものであった。彼の研究は、とにかくどこに出しても目を引くようで、こちらの人はみんな気に入っているようだ。午後からしっかりと説明して、彼が彼なりの原稿をおこし、それを見せてくれる、と言うことになった。少々緊張していたが、このscience writerは倉敷に2年程いたことがあるそうで、僕のおかしな英語に楽しそうにつきあってくれた。

また、DBさんから届いたものについても話をしたが、やはり時既に遅しで、もう余白がないような印象であった。やっぱり、打診があったら、さっさとストーリーを伝えないと難しいようだ。

その後は、自分の研究に関していくつか論文を読んだ。1990年頃から現在までに関連の深いいくつかの論文が出ているので、それを全て読むつもりで読み始めた。今日は、Israelachviliの論文とLipowskyの論文を読んだ。その後、Israelachviliの教科書にも目を通してみた。勉強してみると、やはり既に議論はあるようで、それらをうまく使って今回の実験結果を説明する構想を考えつつ論文読みにふけるのであった。

2009年2月27日金曜日

27Fr. TNさん送別会

今日の仕事は、ZY君の原稿に目を通して、モデルを考えて、修正を伝えた。

その後は、久しぶりに自分の研究のことを考えた。この研究は膨潤ラメラ構造の運動に関するものなのだが、いろいろ理論やら実験やらで議論されて来ている。今回の実験結果はそれらの中に若干実験データと理論的なものとの関連性が入っているのだが、それらとこの実験結果をいかにして結びつけてまとめて行くか、と言う事を再度考えている。何となく方針は見えているもののなかなかうまく説明できていないのが厄介だ。やっぱりまだまだ修行が必要と言う事か。

夕方は明後日に日本に帰るTNさんの送別会で、久しぶりにNJ会で集まった。Ziki Japanese Steak Houseと言うレストランで行ったのだが、鉄板の上で火を燃やしたりしながら鉄板焼きを作ってくれるお店。まぁ、日本食にあるにはあるが、あんな派手なパフォーマンスは日本ではなかなかお目にかかれない。エンターテイメントとしては面白い。味もまぁそんなに悪くはないのだが、あれが日本食だと思われるのは、なんだか複雑な心境であった。

2009年2月26日木曜日

26.Th 調べものなど

HSさんから中性子散乱国際会議の要旨が届いていた。目を通してコメントを送った。直後に、ORNLのYMさんから少々調べものの質問があったのでそれに回答した。相変わらずDBさんからは原稿が帰ってこない。。。ZY君の論文原稿の添削をしていたらあっという間にお昼。

午後からはまた別件でメールが来たりしてそれなりに忙しい。火曜日に、研究所のscience writerが僕の所にinterviewに来ると言うことになったので、慌てて机の上の片付けをした。どんな準備をして待てば良いのやら。後は、4月のIndiana出張について事務的な手続きなどのやり取りをした。結局ZY君の原稿は最後まで目を通すには至らなかった。

2009年2月25日水曜日

25We. 昨日の事と今日の事

昨日書きそびれてしまったので、まずは昨日の事から。

朝、修理工場から電話があった。やはり、ベルトがすり切れていた。事情を良く聞いてみると、壊れたのはエアコンのコンプレッサーだと言う事だ。エアコンのコンプレッサーが回らなくなり、ベルトがスタックしてしまったのだ。そのためパワステが働かなくなった、と言うもの。え?パワステベルトじゃなくてエアコンのベルトが切れたんでしょ?と思ったのだが、なんと驚いた事にクライスラーのタウンアンドカントリーと言う車は、ベルトが一本しかないのだそうで、その一本がエアコンも、パワステも、ダイナモも、水のポンプも動かしていると言う話。つまりベルト一本動かなくなったら車の重要な機能が全て利用不能になると言う代物だった。値段ははるが、エアコンのコンプレッサー交換を頼んで修理してもらい、午後には治って来た。今回の修理代金は、あわせて$1000少々。痛い…CarMaxの$500でも足りないじゃないか…。

仕事の方では一昨日に書いた広報の人向けの文章を練ったりした。また、6月に行われる夏の学校にヨーロッパから講師として人を呼んで良い、と言うことになったので、そのinvitation letterをAFさんと一緒に練ったりした。TKさんに電話して6月の実験の打ち合わせなどをした。

そして今日。

まずはそのinvitation letterを受けて、BFさんが来てくれる、と言う返事をくれた。嬉しい限りである。2件のうちの一件の研究についてまとめた文章を広報担当に送った。5月にテネシーで行われる中性子散乱の国際会議の要旨を作成してsubmitした。4月にIndiana Universityで行うセミナーの要旨を書いて送った。MSさんと一緒にやっている研究についてメールで意見交換をした。3月にVGSさん、HNさん、AFさんと一緒に行うSANS及びNSE実験の試料についての打ち合わせをした。高圧学会誌の電子別刷りの支払いに関して事務屋さんとメールでやり取りをして、内容を高圧学会の担当者に連絡した。一応書き上げてお蔵にしまっている論文原稿を読み直してみた。もう一度書き直しの線が濃厚である。ZY君の論文原稿を読み手直しをはじめた。そして、先般までの実験データの解析をしようと思ったのだが、時間切れとなってしまった。

今日はまずまずデスクワークが捗った。

2009年2月24日火曜日

23Mo. CarMaxめ

本題の前に、今日の仕事の事を。

職場にて、MSさんとの仕事について考えていると、AFさんが早速やって来て、彼の実験について相談を受ける。彼の説明を聞き、「確かにその通りだ。それ以外にやりようが無い」と答える。おそらく、彼は今のユーザー実験をやめたに違いない。NSEで観測できる時間領域のダイナミクスを持っていないのだ。

その後、ボスやSANSグループの物知りにいくつか相談事を投げかける。

アメリカのグループや日本のグループと一緒にやってる研究で、今度アメリカ物理学会に発表予定の2件の研究について、うちの施設の広報(?)が面白そうだと言うので僕にコンタクトして来た。一般向けの広報として報告したい、と言う事らしい。そう言う連絡がきた事をそれぞれの共同研究者に連絡し、彼らの反応及び必要な情報を入手する様に手配した。

さて、本題。。。

週末に、家内が言う。
「車から変なにおいがする。きな臭いと言うか、焦げ臭いと言うか」
うん。確かにそれはちょっと前に感じてた。
「ハンドルが重くてまわせない」
え?とうとう、そうなっちゃったか。。。

それにしても週末は熱もあったしCarMaxも閉まっているので持って行くわけにもいかないし、と言うわけで放っておいた。今日持って行くことにしていた。何故CarMaxか。

うちの近所のCarMaxは当の車を買った所。以前修理に持って行ったら、買った後30日なら修理できるのだが、それ以降は出来ないのだ、と言われたこともある。しかし、今回は事情が違う。何でも、過去にレンタカーだった車をそれと黙って売ったものがあり、それをつつかれて困った彼らはそれらしい人にクーポンを送ったのだ。現金交換なら$500。修理あるいは車購入なら$1450まで使えるクーポン。これがあるから強気に行ける。

朝仕事に出向き、午後、娘をPre-schoolに送るついでにCarMaxへ車を持って行こうと思っていた。ところが、重ステどころか、ハンドルが切れない。これではとてもこの車を持って行くのは不可能だ。。。とりあえず、僕らは、Premioのメンバーになっていて、アメリカのAAA、日本で言うならJAFの仕事をしてくれると言う契約をしている。しかも彼らは日本語でサービスしてくれるのだ。家内の要望でAAAでなく、そっちを選んだものなのだが。娘を送る道すがら、Premioに電話して状況を説明。おそらくCarMaxまでレッカーしてもらうことになる、と告げ、CarMaxで確認してから再度電話する事に。

いざ、CarMaxへ。クーポンもって、強気に交渉。と、と、ところが…彼らの言うに、これが使えるのは、DullesかLaurelのCarMaxだという。ここでは使えないと。えー、そうなのか、と思い一旦は引き下がる。そして、クーポンの説明書きを読んでみると、any location of CarMax in the United Statesで使える、と書いてある。これはもう一度食い下がろうと試みる。しかし、結果は同じ。ここでは使えない。理由は説明されたけど、当然納得できるはずもない。兎に角、彼らはクーポンを使った修理を受け付けない、というのだ。使いたければ、DullesかLaurelへ行け、というわけだ。それらは1時間以内のドライブ圏内ではあるが、そんな所に持って行くやつがどこにいる!?ましてや今は、レッカーの必要があるわけだ。で、諦めた。

結局、彼らは反省の色を示すかの様にクーポンを我々ユーザーに送って来たが、それを使えるのに制限を設けてやがる。その上、そのことはクーポンに書いてない。そんなアホな話があるのか?無性に腹が立つ。でも、この国で、出来ないと言うやつが、しかもマネージャー、いる以上、出来るはずも無い。そんなクーポン何の役に立つ?因に、車を買うのなら、そこでも使えるのだそうだ。何だそれ?結局新しく車を買わせるための手段じゃないか。そうならそうと、最初から言え!時間の無駄をさせやがって!やっぱり、商売の国だ。やる事が徹頭徹尾彼らサイドなのである。

結局、職場近所の修理屋に立ち寄り事情を説明して持ってくるが可能か?と問う。大丈夫だと言うので、再度Premioに電話してレッカーの手配を頼んだ。そして、レッカーが到着。因に、こちらではレッカー車とは言わず、トーイングカー(towing carだろうか…)と呼ぶ。時間通り(少し早め)にやって来て、無事修理工場まで運んでくれた。圧巻はこの運転手。僕が一生懸命やっても切れなかったハンドルを、彼は事も無げに操作していた。さすがはアメリカ。強者の巣窟である。

というわけで、なんとか車を修理工場まで持って行くことができた。後は見積りがでるのを待つわけだが、CarMaxクーポンの$500以内で収まって欲しい。もはや、CarMaxについては言う事も無い。貰うもの現金化してさっさと縁を切るのみ。

ところで、Premioである。これは、ANA Card USAを契約した時に(有料)サービスの一環として紹介してもらった会社。何が良いか、って、日本語で連絡できてこちらの事情を細大漏らさず説明できる!こんな幸せがあるのか、と思うくらいありがたいサービスである。しかも、さすがは日本人向けサービス。事細かにコチラの納得のいくまで説明をしてくれて、オプションにどんなサービスが使えるか、も説明してくれた上、レッカー車の手配そして、自分たちの仕事の事後確認までしてくれる、という念の入れよう。こんなサービス、アメリカに来て初めてと言っていい程新鮮に感じるサービスである。やはり、サービスは日本。その上、料金も発生しなかった(勿論保険だからその分は日々払っているわけではあるが)。Premioには大満足。契約していて良かった。

それに引き換えCarMaxは、、、と、いくらでも罵詈雑言がでてきそうなので、そろそろやめる。いずれにしろ、治ると良いのだが。さもなくば、一家を支える大黒車。買い替えの危機か!

今、苦しいんですけど…

2009年2月21日土曜日

21Sa. 風邪

最近子供たちが風邪をひいて、順番に回ってるなぁ、と思ったら、とうとう僕の番でした。木曜の夜から土曜の明け方まで寝てました。なんとか熱も下がりましたが、今回の風邪はなかなか厄介そうです。まだ少し頭が重いです。きっと寝すぎているせいでしょう…。

いくつかやらなければならない事があるのだが、こうすっきりしないと、あんまり何も考えられない。早く完治したい所。また、次は家内がやられそうなのでそうなるとまたまた大変。。。

2009年2月18日水曜日

18We. Incoherent again

今日は午前中、税金申告の説明会を聞きに行った。初めて聞きに行ったのだが、今までやっていた事の意味がよくわかって良かった。

その後、午後はずっとincoherentの計算に費やした。結果、水については波長依存性も含めてうまく説明できそうだ、と言う事がわかった。

が、MSさんには納得してもらえなかった。。。
その後、若干の修正で良い事がわかった。これで計算がうまく行けば、納得せざるを得ないだろう。うまく行く事を願う。

ZY君の論文、、、ごめんね。後回しになってるよ。。。

2009年2月17日火曜日

17Tu. 計算

今日で実験が終了だった。実験を終了してから部屋に行きメールをチェックすると、MSさんから重要なメールが。どうやら、これまで計算していた理論について過去にも議論があるらしい。コメントをチェックした後、ひたすら計算をはじめた。何度も同じ計算の繰り返し、やり直し。最終的に夜になってそれらしい結果が得られた。何度もやってみたけど同じ結果になるので多分、これであっているのだろう。その結果を先ほど共同研究者に送っておいた。

その他にもいくつか資料が届いたりしたのでそれらを読んでコメントを考えたりした。ZY君の論文は結局手つかずで終わってしまった…

2009年2月16日月曜日

16Mo. President Day

今日は大統領の日で学校はお休み。うちの施設もお休みだけど、Indiana大はお休みではないので普通に出勤日。とはいえ、実験中なのであまり関係ない。

実験は週末も順調で、予定通りの実験が行えた。今回は試料に対するバックグラウンドの影響を調べていたのだが、どうやら、incoherentの影響はあまり考慮しなくても良さそうだ、という結果になりつつある。もう少し詳細な解析が必要である。

MSさんと一緒に進めている小角散乱のincoherentの論文に関しては着々と進んでいて、もうすぐ投稿に至る事であろう。これ、スピンエコーについても考えてみる価値があるかも。

今日は久しぶりにAFさんが出勤していたのでいろいろと今後の事や懸案事項について相談した。

また、ZY君から新しい論文の原稿が届いた。高圧学会誌のゲラ刷りの返事を明け方送っておいた。

2009年2月13日金曜日

13Fr. Incoherent

今日は朝一で実験条件を変更に行き、その後夕方に再度条件変更をした。これで日曜の朝まで自動測定だ。うまく行く事を祈る。

今日のほとんどの時間は、MSさんと一緒にやっているincoherent散乱についてのデータ整理と論文書きをした。MSさんは仕事が早い。遅れない様について行くのも一苦労である。でも、結果としてはとても面白い事なので僕としても気合いが入った。最近のデータと昔のデータを引っ張りだして来て理論と合わせるのだが、最終的に見事に一致してとても気持ちがよかった。これで後はMSさんが論文として仕上げてくれる事だろう。

また、高圧学会誌のゲラ校正が来ているので後一点共著者の連絡待ちを残すのみとなった。遅くとも月曜日には送れるだろう。また、波紋の原稿についての問い合わせがあったので、執筆者に連絡した。が、原稿は本当にやってくるのだろうか。。。

2009年2月12日木曜日

12Th. 実験開始

ようやく自宅にネットワークが開通した。家の中の片付けはまだ残っているものの、引っ越しも一段落である。夜になると星が良く見える。久しぶりに星をゆっくりと見て感動している。

今日から原子炉が稼働し、それとともに自分のスピンエコー実験を開始した。今回の実験は、前回12月の実験のときに得られた少しおかしなデータが何に由来するのかを確かめるためのもので、5日間程である。

アメリカの景気刺激策が発表され、それに伴って我々の施設にもお金がついたそうだ。アナライザーを買おう、と言う事で少し話し始めた。また、グラントの申請の件もいよいよ大詰めに近づいて来ているようだ。装置の話の部分を改訂することになった。それから夏の学校。今年は我々の担当番なので、今月はこれについての書類作りも待っている。

それ以外の時間は、T大のMSさんから相談のあった件についていろいろ計算をしていた。中性子小角散乱データの非干渉性散乱強度をいかにして見積もるか、と言う方法論の話なのだが、以前の仕事の続きな感じで、おもしろい。計算結果もリーズナブルに見えるので結構うまく行く方法論なのであろうと思われる。コチラで測定したデータでもものによってはうまく行っているようなので、それも含めてやると見栄えも良くなるような気がする。

2009年2月8日日曜日

7Sa. Research Faculty Appointment

引っ越しも佳境に入って来た。明日は朝からトラックを借りて大物の移動である。

そんな中、表題にあるようなタイトルのメールが届いた。インディアナのボスからのメールである。内容は、Academic standingにしてあげるから、発表しにおいで、と言う物だ。以前、職場のボスにグラントの事で話をしたことがあり、そのときに、自分がAcademic standingでないからグラントをfirst nameで書く事は出来ない、と言う話を聞いたことがある。そのときに、Academic standingになればいいんだよ、的な事をボスが言っていた。その後、僕自身は特に何も動いていなかったのだが、突然、そのようなメールが届いた、と言うわけである。

これって、多分凄くって、ボス同士が僕のために、そのようにした方が良いだろう、と言う話を勝手にしてくれて、インディアナの方ではそのような話を進めてくれている、と言う事な訳で、ありがたい事だ。勿論、否やは無く、直ぐに発表日程を決めた。発表と言ってもそれは面接であり、そこでうまい事やらなければいけないわけで、それなりにプレッシャーもある。でも、Academic standingになる、というのは、Faculty memberになる、と言う事な訳で大変嬉しいし、頑張らなければならない。

もうすぐ渡米三年。ボスの御陰だが、そのように話をどんどん前に進めてくれている事は嬉しいし、それに食らいついている自分も、不思議だが、よくやっている物だなぁ、と思う。頑張ってみよう。面接は4月。それまでにしっかり準備をして望みたい物だ。が、英語の不安は拭えないなぁ。

2009年2月5日木曜日

5Th. デスクワーク

といっても、最近ほとんどデスクワークなのですが…

午前中、施設で提出するグラントの僕の担当部分の修正を終わらせた。また、オークリッジの課題審査を行い、審査結果を送った。締め切りが明日だったのだが、間に合って良かった。

SRゲルの論文修正をはじめた所、またしても気になる箇所が現れて、教科書を見るはめに。そうこうしているうちに、MSさんからのメールに返事をしなければならない事に気がつき、ざっくりと計算をしてメールを送る。あちらは日本で、ものすごく早い時間のはずなのに、あっさりと返事がやって来て、もう少し詳しい情報を送った。

夕方には、AFさんがスピンエコーのプログラムを少しいじったから見て欲しい、と言う事で装置ヘ行きプログラムの動作確認をした。少し便利になった。

今年は夏の学校が我々の担当番なので、そろそろ何をするか考えなければならない。去年と同じでも良いのだが、少し変えた方が面白いか?月曜日には最初の打ち合わせがあるらしいが、僕は引っ越し作業で休むつもりである。話し合いがうまく行く事を願うのみ。また、そろそろtaxシーズンです。今年はビザが変わったので書き方も変わるかも。さ来週説明会があるのででてみるつもり(今まで聞いた事ない)で、その後書類を作る事になりそうです。今週末は引っ越し、来週は実験と段々忙しくなりそうな気配です。

2009年2月4日水曜日

4We. 書類いろいろ

今日は実験のレフリーの仕事を終わらせようと朝から申請書を読んでいた。4件なので簡単に終わるだろうと思っていたのだが、しっかり理解しようと読んでみたら、何かおかしなことにぶつかったり、よくわからないことがあって調べたりするはめに。そうこうしているうちに午後になった。その他にも、施設から出す研究費の申請書の原稿が回って来たり、それの修正とかにも時間がかかった。その他いくつか書類が回って来た。久しぶりに書類に囲まれた。結局、レフリーは4件中2件を終わらせて、残り2件は明日になってしまった。

また、今後の自分と装置のスケジュールを確認した。夏頃までのスケジュールが何となく見えて来た。

家に戻ると妻が着々と引っ越しを進めていた。

2009年2月3日火曜日

3Tu. polarizar

今日は、体の痛みも少し和らいだので、朝から活動。まずは、新居へ昨日運びそびれた荷物を運び、新しい小学校へ。いろいろ説明を聞き、いろいろ質問をしていたら11時頃になってしまった。その後職場へ。

ボスに会ったので、今後の出張の可能性について聞いてみた。先ずは、5月のKnoxvilleでの国際会議。二の句無く行って良し。では、9月のOxfordでの会議。これも二の句無く行って良し。それならば、8月のRomaでの会議。これについては若干会話になったが、最終的には、行って良し。うーむ。良いボスだ。何でも許してくれる。ありがたい。

その後、スピンエコーチームで懸案になっているpolarizarについての打ち合わせをした。実は、昨日施設全体でのpolarizarについての話し合いがあったのだが、欠席してしまったので、今日その結果を聞くとともに、我々の方針について意見交換したのであった。中心になっているJSGの方向性は問題がないようで、結局その方針で行く事に賛同した。

PBさんがやってきて、スピンエコーで採択された課題に対する小角散乱の使い方について若干話をした。各サイクル1日ずつ、スピンエコーのユーザーに小角を使わせてくれる、ということだ。これは我々(特に僕)と我々(特に僕)のユーザーにとってとてもありがたい事なのである。明日、細かい打ち合わせをすることになった。

その後は、KM君の論文を読んでコメント(なにもなかったが)を送り、Knoxvilleの会議の要旨を書き始めた。椅子に座って仕事をしているとやはり体が痛む。どうやら骨ではなく、筋肉らしいと言う事がわかってきた。一安心である。夕方には少し早めに帰って引っ越し荷物を少し整理した。

2009年2月2日月曜日

2Mo. とし

今朝、荷物を少し新居におろしてから職場に向かおうとした。少し重い物を持って行こうと頑張っていた所、無理な体勢をとっていたために、体をねじった瞬間に、あばら骨が…多分、骨は大丈夫だと思うけど、暫く動く事も出来ない有様。まぁ、少し車で休めば大丈夫だろうと、なんとか運転席にたどり着き休む事10分。痛みが引きません。というわけで、自宅に戻り静養。結局夕方頃までいたんでいました。夜になり、動ける様にはなりましたが、体をねじるとまだ痛い。引っ越しだと言うのに…。

というわけで、自宅で寝込みつつ、ORNLの課題審査の申請書読みをしたのでした。ただ、時々痛みがあったので集中できず、採点は後日に回しました。

早く完治しないと大変だ。

2009年1月31日土曜日

31Sa. Field Trip with 2nd son


朝から次男の学校行事のField Tripに参加した。日本で言えば遠足ですね。

黄色いスクールバスに親子で乗り、目的地はCollege Park Aviation Museum。説明してくれているのを一緒に聞いていたのだが、どうやら、ライト兄弟の時代からcollege parkは飛行機のアメリカにおける重要な拠点だったようである。アメリカで最初に郵便物を飛行機で運んでいたのはcollege parkの辺りなのだそうだ。恐らく、近くには基地もあるので、その関係で拠点になっていたのだろう。次男は、展示してある飛行機のコックピットに乗って操縦桿を握ったりして遊んでいた。お昼前には撤収だったが、楽しかった。

このfield tripは、全員参加する事が出来るわけではない。およそ20人の子供とその親が参加する。どうやって選抜しているのかは知らないが、幼稚園4クラス、小学1年生2クラスからそれだけの人数が選ばれるわけで、倍率は少なくとも6倍と言う計算である。よく選ばれたもんだ。しかも、無料。良い思いをした。

午後から長男を日本語学校へ迎えに行き、少し引っ越しの準備。夜になって大家さんから鍵を引き取った。大家さんは10年程住んでいたようで、その家をとても気に入っている。ただ、目が不自由になって来たらしく、町中へ引っ越す事を決めたらしい。お子さんも既に巣立っているので、少し狭めのお家。というわけで、いくつか不要になった家具もおいて行ってくれたわけなのだが、改めてゆっくり家の中を見てみても、すごい、と言う感じ。こんな家に住めるなんて幸せなことだ、と皆で話をした。

さて、昨夜共同研究者に送っておいた論文草稿であるが、早速返事が来た。さすがに早い。大まかには異論はないようだが少し議論の展開について疑問点を示された。それらのコメントを加味して来週には再修正して共著者全員に送れるようにしよう。また、あちらでの若干の懸案事項についても相談があり、協力することにした。

2009年1月30日金曜日

30Fr. バッジ

朝仕事を始めたら電話が。バッジのリニューアルをするから、security officeに行きなさい、というものだった。これで、2回目のバッジ交換である。最初、赤色で一年間有効、次が紫で二年間有効だった。今回は、バッジの支給もスムーズでsecurity officeに行って、部屋に入り5分もしたら、次の部屋に行ってバッジを受け取りなさい、と言われた。前回は30分くらい、なんやかんやでかかったのに。で、今回のバッジは青色で、3年間有効。だんだん出世しているらしい。と思ったら、2年間有効の間違いだった。別に出世しているわけではないらしい。この有効期限、何で決まってるんだろう?最初はvisaの期限かと思っていたが、今回はあんまり関係ない日付になっている。うーむ。

また、新居の大家さんに連絡して電気やガス等の会社について情報をもらった。

それ以外の時間は論文書き。随分形になって来た様な気がする。自宅に戻った後、夜中までかかっていろいろ微修正して、とりあえず、共著者の一人に送ってみた。行き詰まってる感を感じないわけでもないので、何らかのコメントが貰えて打開出来れば良いのだが。

2009年1月29日木曜日

29Th. 原子炉停止

過去のブログを読み返してみて、書いた順番はわかる物の、日付がすんなりわからないなぁ、と思ったので、タイトルの頭に日にちと曜日を加えることにしました。

サイクルが終わった。1月のサイクルは結局ほとんど何もする事なく終わった。久しぶりにそんな時間を過ごした。

今日は、2年半ぶり(ボス曰く)のサイエンスグループ全体ミーティングがあった。2:30から3:00までの30分間。内容は、大きくわけて二点。一つは、先日行われた評価委員会での委員の反応やコメント、もう一つはガイドホール拡張計画に関わること。評価委員会については委員のコメントは全員ポジティブで、ここのアクティビティの高さをものすごく評価して帰って行ったとの事。まぁ、そりゃぁ、そうだろう。とは思うのだが、自分がその中に入っている事を不思議に感じる。それもこれも皆さんのご協力の御陰。感謝するとともに、頑張るのみ。ガイドホール拡張計画に関しては原子炉停止のタイミングや期間に関する事、完成するまでに何度か部屋の移動がある事などについて説明してくれた。そして、最後には、「じゃぁ、次のミーティングはまた2年半後に」と言われた時には、目がテンになった。恐ろしくミーティングのない研究所です。日本では、あり得ないですね。

その他の時間は、来サイクル及びそれ以降のビームタイム調整、論文書き、ZY君の論文読み及びコメント、TKさんと実験の打ち合わせとこれまでの結果に関するdiscussionなどで過ごした。

自宅に帰ってからは引っ越し準備などを少し進めた。

2009年1月28日水曜日

静かな一日

昨夜氷が降ったので、今朝は車の氷おろしが大変だった。雪だとさくっと取り除けるのだが、氷は大変。

職場に行ったら、ボスのDNさんがいて、久しぶりに少しゆっくり話をした。とりとめもない話がほとんどだったけど。兎に角、彼は僕らの新居が見つかった事を一緒に喜んでくれていた。彼も3月に日本に行くらしく、その話とか。

その後は、スライドリングゲルの論文書き。いろいろ計算しながら原稿の修正をしているのだが、いろいろ考えた結果、余り嬉しくない方向に話が進みそうな気配になって来た。なかなか難しい。

夜には、今住んでいる家のことについて説明会がある、と言うので出席してみた。今住んでいる所はそのうち売り家になる、と言う事を聞いている事もあって、引っ越しとかを急ごうと思っているのだ。ところが話を聞いてみたら、少し勇足だったのかも?という気もする。まぁ、いずれにしろ家をでる事は間違いがないのであるが、うまくやればいくらか引っ越し費用をサポートしてくれるのかもしれない。その辺りを英語で聞き取るのはなかなか難しい。来週になればもう少し状況がはっきりするだろう。とりあえず、家をでる事は伝えたのでまぁ、問題は少ないだろう。

その後、ふと、「これはゴミじゃないよ。大事な書類だよ。」と書いてある手紙が来てたのでその封を開けてみた。以前、僕が最初に買った車を売った会社から連絡があって、その会社で売った一部の車がレンタカーとして利用されていた車の再利用である可能性があり、売る時にそれをユーザーに伝えていない場合があり、その場合にはいくらかのお金を保証します、と言う連絡があったのだ。で、その届いていた書類を開けてみると、なんと、クーポンが入っているではありませんか。すなわち、僕が乗ってる車は、その前のオーナーはレンタカー会社だった、と言う事ですね。どうりで?エンジンやエアコンなどに不調があるわけだ。いろいろ思うこともあるのだけど、あんまり騒いでもナンにも得しないからそのクーポンを使っておしまいにすることになるだろう。

なんだか、アメリカって自分のコントロールしきれないいろんなことが良く起こる。これも、act of GODの精神なの現れなのだろうか…

2009年1月27日火曜日

契約

今日は朝から雪。

明け方変な夢を見て目が覚めた。暇だったので自分のブログを読み返してみた。まだ一年足らずしかつけてないけど、こうしてブログをつけているのは良い事なんだなぁ、と思った。少し前の事なのに忘れ去っている事も多かった。

さて、雪の中、評価委員会での同僚の発表を聞きに行こうと職場へ。到着するなり、インディアナのRPさんが「リングのポスター説明してくれ」と。待ってましたとばかりに説明した。やっぱり、SRゲルの話は食いつきがいいですねぇ。面白そうに聞いて行ってくれた。

不動産エージェントから電話があり、契約をいつにするか、と言う事だった。2/1に契約をスタートする、と言う約束なので日がないのである。急遽今日の午後に契約することになった。午前中は同僚の話を三件程聞いて、急いで帰宅。その後、ボスの奥さんJNさんと一緒に契約してきました。いろいろややこしい事が書いてあるものの、JNさんとエージェントさんがいてくれた御陰でスムーズに契約できました。その後、新居に出向き、部屋の寸法を測ったり、大家さんが不要なもの、残して行きたいものなどについて話を聞いた。結果、タダでいろんな物が手に入ることになった。正確には、大家さんの持ち物をそのまま自宅に置いて使う事が出来る、といこと。家具の分タダで借りられると言う話な訳で、これはラッキーである。

それらが終わってから再び職場に戻り、少し論文の手直しをした。また、ZY君から修正版の原稿が届いていたので、それらをプリントアウトして、雪も降り続いている事なので帰宅した。

帰宅後は、測って来た寸法で、新居の絵を描き、手持ちの家具などを配置してみた。新居は広すぎるらしく、すっからかーんとした家になりそうだ。まぁ、ぼちぼち増やして行きましょう。

というわけで、これから暫くは家の事で忙しくなりそうです。2月にはしかし、実験もあるんだよなぁ…後、家具類も少し買い足さないと。

さて、少しZY君の原稿を読むことにしよう。

と書いてから、読んでみた。割と良いと思った。若干コメントを書き加えて、レフリーへの手紙も少しアドバイスを加えて送り返しておいた。

そう言えば、契約の時に一つ勉強になった。
act of GOD
という事が書いてあったが、最初意味が分からなかった。これはどういう意味か?と聞いた所、我々にはコントロール不能な出来事、例えば自然災害などのことだ、と説明された。へぇ〜、とか思っていたら、長男に「僕知ってる」と言われた。ショックだった。

2009年1月26日月曜日

Assesment Panel

今日からうちの施設の評価委員会が始まった。数人の評価委員がやって来て、施設総出で現状の報告や研究報告などをして、グラントが正しく利用されているかどうか、施設のあり方や意義などを評価する会議である。今日は全体の説明をマネージメントの人たちが行って、若干のトークとポスターがあった。予定通り、僕はポスター発表に望んだ。二つのテーマを一つのポスターに入れているのだが、なんとかうまく説明が出来たと思う。また、聞き手も興味を持ってくれたようで、いろいろと質問もしてくれた。僕の説明に納得できない所は納得できないようだったが、それはそれ。全体ではオッケーの発表だったと思われる。準備不足を心配していたが、無事こなせて良かった。

それ以外の時間は、論文書き。方針は見えて来たので、後はうまく説明できれば今度こそアクセプトされるんじゃないかなーと期待している。頑張って書かなくちゃ。

夜嬉しい知らせが。新しいお家が決まった。一時はコンペティターが現れて、どうなる事かと思ったが、大家さんは僕たちを選んでくれた、ということだ。良かった。これで暫く家探ししなくても良い、と言うことになった。今度の家はタウンハウスで三階建て。テニスコート、公園至近、共通の芝生のバックヤード広し、という、子供にとっては嬉しい環境。後はタウンハウスなので隣の音がどんなもんか気になる所。うちは子供らが大騒ぎするので、こちらから漏れる音が心配と言えば心配。なにしろ、うちの奥様は、この家のキッチンが気に入っているので、どんな新しい料理が開拓されるものやら楽しみである。それに、職場にも近い。

2009年1月24日土曜日

発表準備

月曜日は発表ってことで朝からゲルの勉強をしようと思っていた。

職場に行ったら、今実験中のJSGが何やら問題があるという事で装置に出向いて一緒にいろいろ見た。その結果、装置に異常はない事が分かった。後で分かった事だが、解析の間違いだったらしい。

その後、今日は一日ゲルの勉強。発表に必要な情報を集めつつ、論文原稿の修正に勤しむ。夕方ポスターが張り出されていたので、その前で少し話をしていた。ポスターを見たら、一部印刷されていない所があったりして、不完全だが、まぁ、よしとしよう。

論文草稿の方は一応修正してプリント。自宅に持ち帰って読んでみたら、不備だらけ。自宅で再度検討して、どう言う事を加えるかを考えた。一応、何となく説明がつく様な考えが出たのではなかろうか。もっとも、若干強引である事は否めないのである。まぁ、修正して共著者コメントをもらってから考えよう。

探している新居だが、競合する人が現れたとかで、エージェントから連絡があった。借りられないのかもしれない。でも、正直に申告しているのだから、これ以上申請書を強める事も出来ない。週末にはオーナーが判断するであろう。果報は寝て待てである。

2009年1月22日木曜日

ポスター完成

朝、ポスターを完成させた。ファイルを担当者に渡して後はあちらで印刷して掲示までしてくれる。というわけで、後は月曜日に説明するだけになった。それまでにしっかり勉強しなくては。

その後、KM君から届いた投稿論文へのレフリーコメントと修正版原稿を見て、更に修正を加えて送り返した。この論文も採択になる公算が高い。

3月の日本物理学会の要旨を二編準備してweb経由で提出した。

これで、とりあえず最近締めきりになってる原稿についてはおおよそケリがついた。

続いて、月曜日の発表勉強もかねて、懸案となっているSR gelのスピンエコーの論文修正に取りかかった。以前送ったバージョンは共著者から総スカンだったので、今回はあんまり飛躍する事のない原稿に仕上げたいと思うのだが、さてどういうことになるだろうか。

2009年1月21日水曜日

ポスター作り

来週、うちの施設の評価委員会があるとかで、ポスター発表を頼まれています。二つのテーマについてポスター作りをする、ということで、少々苦労しています。一つは自分の研究で、濃厚なソフトマターの構造とダイナミクスを中性子散乱によって明らかにしましょう、と言う話。これは、昨年の夏に大阪で行われたIUCr2008での発表ポスターをそのまま使えばよい、というわけで、あんまり問題ではないのだが、もう一つのテーマ、SR gelのダイナミクスについては、これまで発表した事がないので一からすべてを作ることになりました。頼まれた当初は誰か共同研究者に絵をもらおう、とか思っていたのですが、やっぱりそれでは良くないと思い直し、頑張って作りました。とはいえ、図のアイディアは共同研究者のものをいろいろと使わせてもらいました。今日は朝から一日このポスター作りに励み、なんとか一応の形まで作ることができました。

また、そのポスター作りに入る前に、出張直前に届いたレフリーコメントを加味して、投稿論文を修正し、再投稿しました。

午後には、同僚のAFさんがやはり評価委員会でトークをする、ということで、練習につきあいました。タンパク質のダイナミクスの話で、彼自身のテーマではないのですがよくまとまっているなぁ、と感心しました。

また、研究所のバッチの期限が今年の4月で切れるのに伴い、それの延長の手続きが進んでいたようで、呼び出されました。これで2度目の更新ですが、手続きも慣れたもので、書類にさくっとサインして終わりでした。ただ、事務が持っているI-94が最新のものではないので、コピーを取って送らねばならぬ、と言うことになりました。

明日は作ったポスターを担当者に渡して印刷してもらう事と、物理学会の要旨を完成させることが最優先課題です。

2009年1月19日月曜日

実験終了、そして帰宅

3日間の実験が朝終了した。実験の途中で、一旦は全員の気力が失せてしまう事態も発生したのだが、終わってみれば、それもちょっとした勘違いが引き起こした間違いだった事も分かり、面白い実験が出来たのではないかと思う。

実験が終わった後、片付けをし、昼食にKnoxvilleで有名なCalhoun'sというレストランで食事した。ここはリブの有名なお店で昔、日本からオークリッジに行った時に二回程行った事のあるお店。久しぶりに行ったのだが、昼時で店の中はごった返していた。共同研究者らはリブを食べたのだが、僕はハンバーガーをチョイスした。リブが悪くないのは知っているのだが、ハンバーガーも悪くなかった。

その後空港へ行き、check in。すんなりとチェックインが出来て、共同研究者と別れた。待合室で飛行機を待っていたのだが、搭乗時間になっても何の連絡も無い。出発の予定を見てみたら、およそ2時間遅れ、の表示が…。機材の到着が遅れているからだ。それもそのはず周囲は雪。どこかの空港で雪の為遅れているのだろう。結局、2時間半ほど遅れて飛行機が飛び立った。

ところで明日はオバマ大統領の就任式。というわけで、昨日からDCは多くの人で大混雑しているのである。地下鉄で自宅まで帰る事にしていたのだが、地下鉄はDCの中心を通り抜け、しかも、ど真ん中で乗り換えしなきゃいけないのである。ただ、予想と反して地下鉄を使っている人が少なくて座る事も出来た。地上ではお祭り騒ぎだけど、地下はそれほどでもなくてホッとした。自宅の駅に到着したら雪が積もっていた。明日は、子供達が雪遊びをせがむに違いない。

2009年1月16日金曜日

SANS実験一日目

ホテルでワッフルを焼いて食べてから、オークリッジ国立研究所へ。

すんなりと入構し、visitor centerへ行く。ここでもすんなりとバッジを貰って早速実験室へ。実験室では、受け入れ担当者のYMさんとGCさんが実験の準備をしていた。僕たちの前のユーザーが以前、今の研究所で1年程同僚だったWRCさんたちのグループで、少し彼と話をした。また、HSさんと話をしていたら、JFBさんがやって来て、いろいろと話をした。物性研が進めている日米協力のプロジェクトの進展具合なども聞いた。進んでいる装置建設の進展もありちょっと安心した。

午前中は、YMさんらが我々の実験のために温調の準備をしてくれた。それでも、温調はまだマニュアルコントロールで、全自動までは至っていなかった。しかし、前回よりは装置が良くなっていて、ずっと便利になった、と言う感覚だ。後もう一息、というところか。

実験は、KS君の試料で、彼が試料調整し、HSさんと僕は彼にアドバイスと実験計画の提案などを行いながら準備し、測定を開始した。昼食が遅くなったので、研究所のカフェテリアが締まっていて、仕方なくオークリッジ市街まで戻って、中華のバフェを食べた。その後、夜まで実験を続け、夕食は、KS君が借りたレンタカーについているGPSを頼りにKnoxvilleにある、STARというインド料理屋でカレーを食べた。余り大きくない店内は多くの客で賑わっており、実際カレーもおいしかった。一人前のシシケバブ(SEEKH KEBAB)カレーとナンを頼んだのだが、食べきれない程の量で、持ち帰り明日の昼食にすることになった。帰り道はGPSの目的地設定が違ったらしく、自分たちが進みたい方角とは全く違う方角をさして説明してくれるので少々不安になりながらも、自分たちと道路標識を頼りに無事研究所まで戻ったのだった。

それにしても今日は一日寒くて、夜は-10℃ほどだった。外を歩いていると寒くて寒くてとても凹んだ。とても寒いので夜中に試料交換をする事がないように朝までの測定をかけ、皆で帰って来た。明日の朝一はKS君が行って測定をかけてホテルまで帰ってくる事となった。

2009年1月15日木曜日

オークリッジ

午後のフライトでRonald Regan Washington National AirportからKnoxville Airportへ。今日はものすごくすんなり飛べたし、何も問題がなかったので少々びっくりした。空港まで共同研究者が迎えに来てくれて一路ホテルへ。ホテルについてネットワークに繋ぎ最初に見たニュースが、USエアウェイズ機ハドソン川に墜落、というもの。乗って来た飛行機もUSエアウェイズだったので、びっくりした。墜落はしたもののけが人もなかった、との事なので不幸中の幸いの事故でしたね。

AppleBeesで夕食にステーキを食べ、久しぶりに会う共同研究者達と飲みながら、いろんな話をした。

家と論文と出張

最近新しく住む家を探しています。子供が大きくなって来て、今の部屋では少し手狭で、彼らの遊び場が必要という訳で、少しお庭のある家を探しています。学校の事、家の事、利便性もちろん安全性。いろんな条件があって、なかなかこれという物が見つからなかったのですが、最近一軒良さそうなのが見つかり、レンタルの為の申請書を昨日提出。毎月の支払いもオーナーと基本合意しました。多分、入れるのではないかなー、と思います。この間家内はコンピューターで毎日探していたし、アメリカでの家探しは結構大変です。焦って入居する様にはせず、じっくり探して行くものなんだなぁ、という事を学びました。それにしてもこの辺の家は高い。家賃も高い。何とかならんものか…

昨日と今日submitしている論文のレフリーコメントが帰ってきました。一つはインディアナに戻ったZY君から連絡があったもので、リン脂質膜の運動性について脂質の化学構造と形成される膜の弾性率の関係について調べたものです。思った以上にポジティブなコメントが帰って来たので良かったです。今彼が一生懸命修正している事でしょう。もう一件は、昨年の9月に日本で参加した偏極中性子の国際会議のプロシーディングス。一点だけ指摘があったので、その部分を修正して提出する事になります。どちらも少しのrevisionで掲載となりそうなので良かったです。

で、今日からオークリッジに出張。朝起きたらうっすらと雪化粧していました。飛行機無事に飛びます様に。戻りは19日で、大統領就任式の前日。空港はごった返している事でしょう。

2009年1月12日月曜日

実験審査委員会

今日は中性子の実験審査委員会が行われた。これまではオブザーバーとして会議に時々顔を出したのだが、今回はよばれる事も無く終わった。これって、つまり良くない事がある訳だよなぁ、と思っていたら案の定だった。僕が関係する実験が不採択になっていた。理由はあるのだが、これを連絡するのはつらい。ただ、なんとか実験が行える様に、調整を試みている所なので、どういう風に連絡すべきか少し迷う。とはいえ、結果は結果なので、とりあえずメールを書いて送る事にする。

午前中は日本の課題審査を終わらせて、日本物理学会の予稿のうちの一件を書いた。明日はもう一件を終わらせて、ポスター作りに入らなければ、今週はオークリッジでの実験もあるので結構タイトである。

それ以外の時間はスピンエコーの実験利用時間について担当者と話し合った。

そろそろ、3月の日本行きの事を考えようと、飛行機のチケットを見たり、ホテルを見たりした。取り急ぎホテルを仮おさえしたのだが、帰宅してみると、東京近郊にお住まいのお友達が、泊めて下さるつもりでいるそうだ、という事が判ったので、お言葉に甘えるかどうするか考える事にした。

2009年1月8日木曜日

怠け癖が

新年に入ってから、なかなか更新に来なくなってしまった。怠け癖がついた模様。やっぱり、ブログは継続してつけておかないと、直ぐに書かなくなってしまいますね。

さて、今日は、朝から昨年のデータの解析をいくつか。
スピンエコーの実験の模様について少し話し合い。
昼食後、車屋さんに車を持って行き、明日入院させる事にした。最近、エンジンチェックランプがついたり、マフラーの穴をさすがに塞ごうと思ったわけで。

午後は、論文を一編読み、後の時間はデータ解析。また、月末に、ポスター発表することになったので、その構想を少し練り始めた。ボスは言う。「ポスターよろしく。サブジェクトを二つにわけてもいいからね」と。つまり、二つのテーマについてポスターを作りなさいと言う事ですね。一つは決まってるとして、もう一つは?というわけで、探りを入れてみたら、思いは一緒でした。というわけで、二つのサブジェクトについてポスターを作ることになったわけですが、こうなると、タイトルが難しい。明日までにタイトルを知らせろとのことだが、なかなかうまいタイトルを見つけられない。困ったものだ。

2009年1月5日月曜日

今日から

長い休みを取りました。久しぶりにとても長かったです。ものすごくゆっくりできました。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今日から仕事です。先ずは、メールの整理をし、必要な事務処理をすませ、まずは、申請書のレポート作りからはじめることにした。いろいろやりたい仕事等もあるので、今年も頑張って行こう、と言う矢先、次男と長女が嘔吐を繰り返すと連絡があり、長男を学校に迎えに行って帰宅してみたら、二人ともしんどそうだった。夜になって今度は長男も同じ症状に。暫く家族の体調が悪そうである。