2009年4月30日木曜日

30Th. SAS abstract

昨夜書いた小角散乱国際会議の要旨と論文原稿を再度AFさんに見てもらったら、やっぱりいろいろ修正があった。なかなか英語力が上がらない。まぁ、考えてみれば日本語でもいろいろ間違いがあるんだから、英語ならもっと間違いがあっても当然と言えば当然。それにしても、いつもいつもAFさんに見てもらっていては、彼の労力が気になり始める。やっぱり、教えてもらってるうちに上達しなければ。

明日でMIさんたちの実験は終了で、今夜測定する試料についての打ち合わせと、得られているデータについての議論などを行った。MIさんらの試料の小角散乱測定データの絶対値化の問題について、AJさんが修正してくれたので、解析し直してきちんと数値を得て、MIさんらに送信した。

論文を投稿しようと思っていたら、今日、PBさんが帰って来ている事に気がついた。彼にもdraftを見てもらっているので、彼のコメントを貰ってからにしよう、と、たびたび部屋に行ってみたのだが、いつも誰か先客がいるか、部屋にいないかで、結局今日はコメントを貰えなかった。明日に延期した。

小角散乱国際会議は明日が締め切りなので、今日AFさんからの英語の修正を貰った後、参加登録し要旨も添付した。

さて、豚フルについてcnn.comを見ていたら、過去の大流行のときの事が少し書いてあったので重要な所だけかいつまんで書いておく。過去の大流行のうちの3回の傾向について述べられていたのだが、最も重要なことは、その三回とも感染の流行初期においては、比較的マイルドな形で蔓延し(第一波)、その数ヶ月後に第二波がやってきて、そのときに多数の死者が出たのだそうだ。昔と違うのは、今は第一波が来ている間にワクチンの開発などを急ぎ、第二波が来る前に対処できる様に出来る可能性がある、と言う事。云々。

その記事の中にも書いてあったが、歴史は科学そのものではない(科学的な歴史の検証はありえるけれど)ので、同じ事が起こるとは言えないが、少なくともこれを参考に対処方法について全力を挙げて対応してもらいたいものである。

って、もし本当に強力な第二波なんて事があるのなら、今年の後半の出張は軒並みキャンセル、というか入れない方が良いのかも?でも、そんな不確定要素に引っ張られるのもしゃくだし。

最後に、昼頃DNさんがやってきて、先日のIndianaでの発表について、あちらのボスPSと話をしたよ、と教えに来てくれた。皆さん、僕の発表を気に入っていて、喜んでいるから心配ないよ、とのこと。そして今は、それ以外に必要なことの事務処理を進めているのでもう暫く時間がかかる、のだそうだ。なんにせよ、少しほっとした。

2009年4月29日水曜日

29We. 花粉症?

今日は久しぶりに気温が下がった。このところ連日35℃とかまで気温が上がっていたので一息ついた、と言う感じ。

何となく鼻が出るので今日は自宅待機した。もしかしたら、花粉症かもしれない。これまでも、ここ数年毎年春になると鼻が出る事が続いてる。熱が出るわけではない。今年は飛散してる花粉の量が多いからまたしても反応しているのかも。タイミングが悪い。フルの兆候は出ていないのでそんな話ではないのだが、何となく嫌な感じ。豚フルはとうとうWHOがフェーズ5に引き上げた。明日以降のアメリカ政府の対応が気になる。

元気は元気なので、自宅で小角散乱国際会議の要旨書きと論文修正を行った。どっちもほぼ出来た、と言う気がするので明日AFに少しみてもらって、どちらも投稿しようかと思う。

書き忘れていたのだが、2日程前にKM君が偏極中性子の国際会議に出していたプロシーディングスがアクセプトされたとの連絡があった。スライドリングゲルのNSEに関する初の論文になる。良かった良かった。

2009年4月28日火曜日

28Tu. 豚インフルエンザ

タイトルをどうしようかと考えたけど、やっぱり、今はこれでしょうか。

僕の情報源は、基本的に、日本のインターネットニュースです。アメリカでは日本の報道程迅速(というか、過剰?)でない、ように見えます。CDC (Centers for Disease Control)のホームページを見ると、一日一回情報の更新がされているようですが、日本のニュースでは、いろんな情報があって、便利です。昨日迄の過熱気味の報道に対して、今日は少し視点が変わった様な報道がされている様に感じます。一番重要なのはメキシコの情報なのですが、これがある意味あてにならない。昨日迄は、感染者19xx人、死者1xx人、で感染者に対する死亡率が7%程度だったのですが、WHOの鑑定を元にしたCDCの情報を見ると、確認された感染者26人、うち死者7人、となっています。全世界的に広がっているため、アメリカですら感染者は6x人です。メキシコでの感染者はもっと多いと思われますが、正確な数字が出てきません。これが判断を曇らせる要因ですね。メキシコ以外の国では死者はまだ報告されていません(アメリカではカリフォルニアで死亡した男性二人について可能性を検討中との事。でも、最初の調査では豚インフルウィルスは確認されていないとか)。で、今日の僕の結論は、豚インフルは確かに新型インフルエンザだが、蔓延している物の毒性はあまり高くない。放っておいてもかかる可能性のあるインフルエンザ。新型だから恐ろしいと言うが、通常のインフルエンザの方が毒性が高くて怖いのでは?ということ。もちろん、ワクチンがないとかいろいろ不安要素はある訳だが、かかってしまったら新型も旧型も関係ない???

今、この情報に敏感なのは、今週末からアメリカ国内の出張がある事と、両親が渡米する予定になっているから。僕の出張がこれを理由に取りやめになる可能性は非常に低い(万一WHOがアメリカへの渡航を自粛等という事になったり、学会自体が中止になったり)が、両親が渡米するのが取りやめになる可能性はある程度高い。何も、リスクを冒して迄来る事はない、と言うに決まっている。で、情報収集をしている訳だ。今の所は、まだ大丈夫だと思うので来て欲しいのだが、帰国後の飛行機の検疫を考えると、そう無理も言えないのも事実。嫌な時に厄介な問題が発生した物だ。

でも、この種の新型の病気というのはこれ迄の人類の歴史上でも沢山あったはず。そのような歴史から学べる事はないのだろうか。この辺りの事になると全く無知なのではあるが…

ともかく、今の所は、蔓延の様子、感染者の状態の情報を得て判断するしかない。結局様子見の受け身主義に変わりはない…

で、仕事の方は、午前中はNSEメンバーで話し合い。なんでも、うちの施設に配分される予算が減ったから偏極装置の購入を今年は見送る、という情報が入ったから。いつの間に予算が減ったのか、全く寝耳に水の話だ。移設のスケジュールを考えると、今年発注しておきたかったのだが、無念。これに伴い、他のパーツの購入についても難しそうな気配がする。というわけで、話し合った訳だ。

午後は、MIさんのデータ解析をした後、数編の論文読みと、論文検索。そして、SASの予稿書きを行った。SASの予稿は5/1が締め切りなのでもうすぐなのだが、発表する内容を検討していたら何となく行けそうな気配だったので、当初の予定通りの内容で申し込むつもりである。

2009年4月27日月曜日

27Mo. 静かな一日

MIさんの実験は彼らが順調に進めてくれている。

午前中は、VGSさんのポスターチェックと、自分の発表原稿チェック。それに、AFさんと少し打ち合わせ。午後には、DNさんらとも打ち合わせ等をした。夕方、論文原稿を眺め、修正をした。

もっぱら気になる事は、豚インフルエンザ。ドンドン拡大しています。日本のニュースを見ていると何となく危機感をあおられるけど、職場の人達はどこ吹く風。確かに、DCエリアではまだ確認されていないのではあるが。日本企業の駐在員が引き上げを検討、とか言われると、僕らはどうなるんだろう?と考えないでもない。まぁ、なる様にしかならないのだが、良い手が打てる様に考えるだけは考えておこう。

2009年4月24日金曜日

24Fr. ICNS準備つづき

昨年の9月に行われた偏極中性子国際会議のproceedingsが受理されたとの連絡があった。最終版の原稿を編集のKKさんに送った。

午前中MIさんの実験条件の変更とデータの解析を行った。decayは奇麗なのだが…

VGSさんから発表のポスターの修正版が送られて来た。あれ?まとめは?

午後は自分の発表原稿の作成に集中した。とりあえず前回の物理学会の発表原稿を少し修正した。後は少し色に手入れをした方が良さそうだ。ちょっと長いかもしれない。

夕方は早めに撤収し、ベランダで夕食をとった。今日は一日天気がよかった。夕食後再び実験条件変更のため職場へ行った。

2009年4月23日木曜日

23Th. ICNSの準備

午前中、MIさんの実験条件交換をして、データ解析を少し行った。coherentなシグナルが出ているデータについては相変わらず奇麗に測定ができる。その後、バックグラウンドの測定をかけて今日の実験条件変更は終わった。

昨日のSANSデータを再び解析してみたが、どうにも絶対値がうまく行かない。小角散乱グループのAJさんに相談してみた。どうやら、新しいシステムにした事で、ファイル上に書き込まれる情報が少し間違っている所があるらしく、そのせいで絶対値がうまく出ないらしい。ファイルを書き換えて返してくれることになった。

その他の時間は、VGSさんのデータとにらめっこ。彼女が頑張っていろいろ情報をくれているので、それをAFさんと相談しながら解釈をしていた。彼との間では随分コンセンサスが得られたのだが、まだよくわからないところがある。VGSさんはICNSのポスターの第一版を作って送って来てくれた。分量的には申し分ないし、説明したい事もよくわかるので、余り問題はなさそうだ。後は少し体裁を奇麗に整えて、まとめを入れれば大丈夫だろう。

夕方は娘の幼稚園での一番の友達の誕生会がある、と言う事で参加して来た。我々以外は全員ブラジル人と言う中だったが、娘の友達のご両親はとてもいい人で会話も弾んだ。彼らは今年母国に帰国するのだが、このまま離れてしまうのは惜しいので、帰国までにまた会う約束をした。

誕生会に行くまでの間、自分の発表原稿の手直しを少しした。時間の配分さえ問題なければ今のストーリーで良さそうだ。後はファイルの修正をして、練習すれば良いだろう。

2009年4月22日水曜日

22We. 実験開始

今日からMIさんの実験開始。まずは、SANSの立ち上げ。これまでは古いvaxのシステムを使って来ていたのだが、最近、新しいシステムが完成した、と言う話は聞いていた。それを、突然使い始める、と言うのである。否やはないので、勿論従ったのだが、起動は遅いし、いくつかバグがあるしで、まだまだこなれていない。新しいシステムの割には、哲学的には古い感じで、いい面もあるが、悪い面もあるような気がする。これから段々こなれて使いやすくなると良いのだが。実験の方は、YSさんの試料調整がうまく行って、比較的あっさりと進んだ。6時間程度の実験だったが、試料がよく出来ている事がわかって良かった。ただ、絶対値解析がうまく行かず、理由もわからなかったので明日までペンディングとした。NSEの方も同時に立ち上げで、夕方くらいまでは分解能測定に勤しんだ。その後、試料の測定をかけて今日のやるべきことは終了で、明日からは定常的な測定が進められそうである。

それ以外の時間は、VGSさんらと一緒にやった実験のデータ解析について彼女からいろいろ連絡があったので、それの対応。現時点でデータの解釈としてはどこら辺りまで可能なのか、と言う事を、主にメールでやり取りした。

また、発表準備も始めなければならないと言う事で、先日の物理学会の原稿を見直した。一方で、ICNSのプロシーディングスの締め切りがおよそ一ヶ月伸びたことがわかったので、これについては暫くペンディングで良さそうだ。次いで、9月にイギリスで行われる小角散乱の国際会議の締め切りが近づいて来た。元々発表を計画してた研究の方は余り進んでいないので、今頑張ってる分で発表するかどうするか真剣に考えなければならない。

2009年4月21日火曜日

21Tu. Monthly highlight

AFさんと一緒に、DNさんに話をしに行った所、DNさん曰く「NSEで何かhighlightに使えるネタはないか?」AFさんが応える、「それなら、MN(僕)のがいいんじゃないか?」云々カンヌン。で、結局今書いている論文原稿をDNさんに送る事に。DNさんも気に入ったらしく、今月のmonthly highlightに決定した。これで二回目。でも、前回はSlide ring gelのお話で、これは、日本から試料提供され、僕の働きはほとんど実験のみだった。それに比べて今回は全てが自作。というわけで、嬉しいわけである。このmonthly highlightは、うちの研究所内で発行される冊子に、中性子の施設からhighlightになるものを1件掲載する、ということで、とても栄誉な事である。こうなると、中性子で一番文章のうまいPGさんに原稿がわたり、とても素晴らしい文章となり、発表されるのである。これが自分のやった研究なのだろうか、と思う位、上手にまとめて下さるのである。英語のみならず、その文章読解力、洞察力そして、構成力に感嘆する。

MIさんの実験の準備で今日は試料調整をYSさんが行った。試料セルの準備や明日の段取りを少しして、明日からの実験開始を待つ所となった。

また、TKさんから電話があり、ICNSに参加出来ない事になった、ということだった。その他いくつか実験の事等も話をした。

そういえば、ICNSに参加して口頭発表をするわけですが、Proceedingsの締め切りが5/7?らしい。今度発表する内容の一部は今論文にまとめ中(上述)で普通の投稿論文にするつもり。でも、他にもデータがあるので、それで書こうと思っていた。さすがに締め切りが近くなって来たので、原稿作らなきゃと思い、夜になって、書き始めてみた。分量は4ページ。イントロを1段落ですませ、実験も1段落。結果考察で、図を二枚はめ込んで、表を一個つくって、書きたい事の半分くらいできた所で、怪しい雰囲気。とりあえず、参考文献を入れてみた所、ぴったり4ページでした。えーーー、こんなに書くスペースが少ないの!?って感じです。どうやってまとめようか…

2009年4月20日月曜日

20Mo. 実験打ち合わせと論文と

昨日MIさんとYSさんが到着して、今日は放射線取り扱いのトレーニングをしていた。午後には、彼らと実験の打ち合わせをした。

午前中は試料セルの洗浄を行い、午後実験打ち合わせが終わった後、AFさんに英語を見てもらいながら論文の修正を行った。また、二件の論文の査読が回って来た。

2009年4月15日水曜日

15We. 解析

朝メールチェックをしていたら、研究所の新しいバッチの支給に関して手続きが必要だ、との連絡があった。面接が必要だとの事なので、明日の午後の予約を入れておいた。

その後は、昨年12月と今年の2月に実験したデータの解析を行った。この実験は、濃厚マイクロエマルションの秩序無秩序転移に関わる運動性の変化を見よう、と言うもので、データの取り扱いがなかなか厄介なのである。昨年の12月に測定したときは、どうやらバックグラウンドの影響があってそのままではうまく行かないようであると言う結果だったので、2月にバックグラウンドがどのように影響するかを調べた、というものだ。もう一つ並行して行っている実験が面白くて、さらに、どちらかと言うと直感的に分かりやすいので、そっちを中心にこれまで解析を進めていたのだが、一応論文の原稿もそれなりに出来たので、そちらの解析に集中し始めた、と言うわけである。今日は、全てのデータを再解析し、バックグラウンドの影響を加味した結果、見た目には奇麗なデータとなった。後は、ここからパラメータを取り出せば良いのだが、うまく行くかどうか。楽しみである。これに関して、夏頃に、SAXS実験が行える様に手配を始めた。

2009年4月14日火曜日

14Tu. DLS demo

朝からDLSのデモがあったので参加した。簡易型のDLS装置で、backscattering (160 degree)の散乱角に現れる光を測定して、DLSを調べようと言うものだった。何が良いかと言うと、試料数がしこたま仕込めると言う事。底部を光学研磨したプレートを設置するのだが、そのプレートが最小384サンプル設置可能で、多いプレートになると、1000以上の試料を乗せられると言うのである。なるほどDLS装置にもいろんなものがあるものだ、と思いながら説明を聞いていた。散乱角が高すぎるのが少々気になる。それに、レーザー光は底部から鉛直上向きに照射されるのだが、埃が入ったりしないのか少し不安な点もある。説明してくれた人はその心配はないと言うのだが。後は、メニスカスで反射した光が邪魔したりしないのかとか。たぶん、きちんとコリメートされているのだろう、説明者はそれも問題ないと言っていた。ダイナミックレンジは広いようなので、簡易測定には便利な装置かもしれない。

その後、部屋にこもって論文修正を行った。英語の見直しと内容の見直し。基本的には、英語を修正して分量を減らして、その分、内容を膨らませる、と言う作業。一日いろんな角度から見直したので、随分良くなったような気がする。後は英語を直してもらって、少々コメントを貰ったら投稿したいものである。

2009年4月10日金曜日

10Fr. Tax

朝からTaxの説明会に行って来た。勘違いもあって、少々間違いもあったのだが、最終的にはまた少し深く税金申告について理解できたので良かった。

午後は部屋にこもって論文の修正をしていた。dimensional analysisからfit parameterについて少し理解が深まって良かった。相変わらず英語がしんどい。

5月のICNSの宿泊と飛行機の予約の手配をした。ホテルは取れたようでよかった。夕方から週末にかけて、NYからTKさんご一家がいらっしゃるので帰宅し、大して役には立たないが準備をした。妻がよく頑張ってくれるので助かる。今夜は久しぶりの焼き肉。美味しく頂いた。

6月のTKさんとの実験の試料についてトラブルがあった旨の連絡があった。実験はやはりそう簡単ではない。

2009年4月8日水曜日

08We. 上原

職場に顔を出してメール整理をし、少しぼんやりしていた頃、HFさんからメールがあり、今日上原が登板するからボルチモアに観戦に行くと言う。昨日が登板日だと思っていた僕はチケットを押さえていなかった。ネットで調べてみると、まだまだ空席がありそうだったので、仕事をそっちのけして帰宅。家族を連れてボルチモアへ向かったのでした。案の定、結構良い席が普通に買えて、上原の初登板試合を観戦することができました。

球場で少しうろうろしていたら、NHKの撮影クルーに呼び止められ、インタビューに答えました。放送される事はないだろう、と思いますが、やっぱり、上原の初登板試合ということで、日本からの注目度も高いんだなぁ、と感じました。試合開始前のウォーミングアップ、上原さんは緊張の面持ちで、スタンドからの声援に余り反応してくれませんでした。でも、次男が大声で声援を送った結果、彼に手を振ってくれました。次男興奮。

注目の上原対松井は、今日のところは上原の勝ち。なんだか、松井さんバッティングの調子が今ひとつのようでした。上原は、最初は硬くなっていたようですが、徐々に緊張も解けて来たようです。でも、モーションを盗まれやすいようで盗塁を許していました。もう少しなれてくればこれも減って行くでしょう。最初の登板としては上出来ではないでしょうか。楽しく観戦できました。

で、観戦中に、何やらを配る連中が現れて、我々に渡してくれる。合計4つ貰いました。最初は何かよくわからなかったのですが、周りの人がそれは飛行機のチケットだよ、と教えてくれました。なんと、ボルチモア空港からニューヨークへの往復航空券が当たった、と言う事でした。それも4人分。有効期限は来年5月まで。次回のニューヨーク旅行を計画することになりました。こういう事があるので、皆さん是非球場に足を運びましょう。なんとも、今日はラッキーな観戦となりました。HFさん、情報ありがとう。

07Tu. Indiana to Maryland

一日中車での移動だった。片道およそ10時間かかるのだが、帰りは何カ所か寄り道をしたので、結局、朝9時に出発して、家に着いたのが22時過ぎだった。そのほとんどを妻が運転したので僕は楽だったのだが、彼女もよく運転できる様になったものだ。

ルートは、Bloomington→Nashville→Indianapolis→Centerville→RichmondとIndiana州でいろいろうろうろした後、高速道路に乗って、I70→I470→I70→I79→I68→I70→I270と乗り継いで帰って来た。全部で700マイル超。 IndianaからOhioの途中までは広い平野の中のドライブで、牛やら馬がよく見られた。Ohioの東付近から少し高度が上がり、West Virginea、Pensilveniaにかけて、高度が上がる。West VirgineaとMarylandの州境は山になっていて、春だと言うのに生憎の雪。道路にも若干つもりかけていて山頂付近は少々怖かった。そこを超えると、up-downもあまりなくなり、すんなりと車を走らせる事ができた。レンタカーのつもりが車がなくて借りられず、自分たちの車で行ったのだが、無事行き帰りできて良かった。何しろ既に10万マイル以上走っている車なので心配していたわけである。

Indianaでは、また夏にでもおいでと言われているので、今度はもう少しゆっくりと滞在したいものである。IndianaはMarylandと雰囲気が違っていて、新鮮な気がした。

2009年4月6日月曜日

06Mo. IUCFセミナー

今日は、僕の所属機関である所の、Indiana University Cyclotron Facilityでセミナーをした。また、Facultyメンバーと懇談した。

まず、気がついた事は、Indiana Universityが州立大学だと言う事。実は、僕はずっと私立大学だと思っていた。何故か。それは、昔この大学について調べていた時に、この大学とは別にIndiana State Universityというのが存在する事に気がついたからだ。今日いろいろ聞いてみたら、このいずれも州立大学なのだそうである。確かにIUは大きな大学で学部学生が6000人とか、9000人とかいるらしい。少なくとも、僕が通った大学よりはかなり大きい。T大と比べてもどうなのだろう。まぁ、自分の所属する大学が私立か州立かも知らないという、恐ろしく怠け者なstaffであるが、今回の訪問でいろんなことが知れたので、まぁ、これからはIUの人間としてもう少し自負しても良いのだろう。

IUでのボスである、PSとの面談から始まって、物理科の主任VK、理論物理屋のHFら、それから、PSグループの学生、ZY、昼食後は、核物理屋のES、CLそして、サイクロトロン施設の中性子ターゲットの設計者DB、それから、DPBに続々面会。その後午後4時から1時間程のセミナーで、最後に、LENS(Low Energy Neutron Source)施設の見学をした。非常に中身の濃い一日であった。でもまぁ、セミナーも含めてなんとか無事にこなせたのではないだろうか。ちょっと肩の荷が下りた。ESさんに核物理の実験について少し紹介してもらったのは、わからないながらも、面白そうなものであった。ニュートリノと電子や陽子の結合定数がどのような値かを調べる、と言った類いの実験で、彼の物理のセンスを垣間みれるものであった。期待していた、RPとの面談はなかった。彼は何でもノルウェー国王から表彰を受けるために不在なのだとか。会えないのは残念なのだが、すごい話だ。

このような面談は、アメリカでいわゆる面接を受ける時には一般的なもので、セミナーとスタッフとの面談が一日、多い時には二日にわたって行われる。今の研究所に入った時には、このような面接はなかった(今のボスの一存で決まったため)ので、今回のは新鮮なものであった。こういう面接をすると、その後採用された時にすんなりと馴染めるのが良いのだろう。

4月と言うのに、みぞれが降る寒い一日であったが、夕方には少し晴れ間も見えて、IUキャンパス周辺も奇麗であった。夕食は、ZY君にメキシカンを買って来てもらい、ホテルでしゃべりながら一緒に食べた。まぁ、アメリカにいるのだから当り前なのだが…英語三昧の一日であった。

2009年4月3日金曜日

03Fr. 集中力が…

いよいよ、月曜日にIndianaで発表する。もう日がない。今日は一日中発表準備に勤しんだのだが、何故か集中力は途切れ気味で、発表スライドは作ったものの、英語での発表原稿がなかなか追いついてこない。練習してみるのだが何ともしどろもどろな感じで、ものすごく不安だ。時差ぼけで常時眠いと言うのもあるが、何か別の原因もありそうな気がする。不安だが、この不安は練習してぬぐい去るしかない。やっぱり英語って言うのは難しいなぁ。というか、きっと僕の言語能力が一杯一杯頑張っててもこのくらいなのだろう。まぁ、焦ってもしょうがないので、なんとか落ち着いて乗り切るのみだ。がんばろう。

2009年4月2日木曜日

02Th. やっぱり疲れてるらしい

朝、起きようと思ったのだが、体が思う様にならず、結局、昼頃まで寝ていた。やっぱり疲れているらしい。

午後職場へ行ったが、余りする事もなく、机に向かってひたすらインディアナでの発表準備に勤しんだ。先日受賞講演した内容で話すつもりなのでスライドは大体準備できているのだが、話の流れなどを再度見直さなければならない。それに、講演時間も長い予定だし、少し膨らませる予定である。

夕方頃、TKさんから電話があって久しぶりに話をした。内容は、6月の実験日程に関わる事だった。

帰宅後は相変わらず、税金の申告書と格闘したが、大体終わったので、後は清書するのみだ。間に合いそうで良かった。

2009年4月1日水曜日

01We. 出勤

朝から普通に出勤した。

まずは、事務室に出向いて、メールで連絡のあった件について書類を貰った。内容は大した事はなかったので全く問題ないだろう。その後、レンタルコンピュータを返却して、スクリーニングをしてもらい、問題がなかったので、ファイルをダウンロードして、自分のコンピュータに入れた。

久しぶりの自分の仕事環境は、やっぱりほっとする。レンタルコンピュータの環境では全く仕事をする気にならなかったので、あれはやっぱり弊害だと思う。

JSGさんとAFさんと日本の事や、こっちでの出来事などを少し情報交換した。一番重要だったのは、MHさんに質問した、アナライザミラーの技術的な問題に関する事。共通認識をNSEメンバーで共有できたので良かった。MHさん、ありがとう!その後、装置周りを少し片付けて、メールの整理や日本での物事を整理していたらあっという間にお昼になった。

午後は、眠くてどうにもコンピュータに向かってられなかったが、丁度眠りに落ちそうな時、DNさんが通りかかり、話をする事ができた。彼には、日本での様子の報告をして、授賞式で頂いた賞状を見せた。当然すべてが日本語なのでわかる訳もなく、「うーん、奇麗だ。良かった」程度で終了。

AFさんと論文の件で意見交換。やっぱり彼は賢い。頼りになる奴だ。

眠いのでさっさと帰ろうとしていた所、うちの施設のdirectorであるRDさんがやって来て、「おめでとう、賞状があるんだって?見せて」という。当然見せた所、「おー、日本語だ。で、なんて書いてあるの?」と。フォーマルな日本語は理解できますが、それをフォーマルな英語できちんと説明する事はとても難しく、「まぁ、こんな感じな事をフォーマルに書いてあります。フォーマルな英語の場合を想像してみてください」という、説明になってるんだかなってないんだか、と言う説明でした。でも、とても喜んでくれて、「僕らもとっても嬉しいよ。今後も頑張ってくれ」と言われた。まぁ、言われなくても最善を尽くすのだが、そう言われるとまた、嬉しいもので。

締め切りが近づいて来ているので、帰宅後は税金の申告書類とにらめっこ。が、眠い。

体調は、80-90%程度まで回復したようである。