2008年8月10日日曜日

彼がこの世を去ったのはもう1年半前の事だった。

お葬式にも行くことができず、お墓参りすら出来ないままに時間が過ぎてしまった。今の僕が頑張っていられるのは、大学生時代に彼と切磋琢磨したからだ。そんな彼にお礼を言う事もないまま、時間だけが過ぎていた。

ようやく今日、彼の墓前に手を合わせることができた。それとともに、彼がこの世を去った事を現実として受け入れることになる。彼の母、妻、子といろいろ話をさせてもらった。彼女らは彼の死と向き合いながら彼女らの人生を改めて前に向かって進んでいる。息子は、彼に似ていた。きっと彼の子供時代はこんな感じだったのだろうと思った。そして息子は、彼に似て物わかりの良い、理知的な子であった。間違いなく彼の残した彼の生の証である。

翻って自分の生についても考えさせられた。自分には、妻と四人の子供がある。彼らと彼らの人生について今後見守って行ける自分は、なんと幸せなのだろうか。僕の友は天からそれを行っている。僕が僕の友の家族の力になれることがあるならば、どんな事だってしてあげたいと思う。

お母さんは、死んだ息子の事を憶い、一年間泣き暮らしたそうだ。かわいい息子だったのだ。将来を期待できるいい子だったのだ。そんな彼がいなくなった事は、親不孝である。それはしかし、今更どんな事を言ったって彼が帰ってくるわけではない。お母さんは最近になってそう言う事を受け入れられる様になったそうだ。それでも、空を飛ぶ飛行機を見るたびに、その飛行機に息子が乗って帰ってくるのではないか、という気持ちを持つのだそうだ。そう言う気持ちを聞くと、自分の両親の事を想う。きっと彼らも同じ事を考えるだろう。そして勿論、人の親である僕だってそう想うのは間違いない。

友は、死して尚、僕に人生の教訓を教えんとしているのだろうか。

友よ。
ありがとう。


遅くなって、本当にごめんね。どうぞ安らかに眠ってください。

合掌

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