2008年10月29日水曜日

SANSとNSEと論文書きと

今朝は早めの出勤で、SANSのご機嫌伺いかつ、時間調整を行い。9時40分まで測定した。NSEは相変わらず隣の装置の磁場の影響チェックの為のテストを行っている。時々試料交換をして測定をかける、というのを繰り返す。

本格的に高圧力学会誌の原稿がヤバいという事で、夕方頃からしっかりと原稿に向かって修正をした。現在の研究所の所属も加える、という事になったので、それにあわせて、誤差の表示とか細かい点を修正。パソコンが変わったので少々手間取りながらもなんとか図の変更が終わった。また、原稿も共著者のコメントを入れて修正した。再校正が出来ないままに帰宅の時間となったので、原稿を共著者に送り、自分も自宅で原稿を読む事にした。読んでみると、なんか、おかしな日本語がいっぱい。明日はまた修正だ。明日中には提出出来る様に頑張る。

それが終わったら波紋の原稿の仕上げと、次のプロポーザルラウンドの締め切りに向けて、自分の申請書を完成させなければ。

突然SANS

午前中は、KS君の論文原稿に目を通して、少し議論をしたりしていた。午後になって高圧学会誌の原稿を修正していたのだが、夕方から原子炉が起動するからスピンエコーの実験の準備等を始めたので、原稿は殆ど修正出来ずじまいだった。夕方、ガイドホールを歩いていると、小角散乱の人が一晩実験出来る試料を探しているらしい、という噂を聞いたので、PBにその旨聞いてみると、確かにそうらしい。というわけで、KS君に実験する様に言う。どんな測定をするかを決めて、試料準備、装置準備を始める。スピンエコーも立ち上げて、突然忙しくなった。今週はなんにもなく平穏に過ぎるはずだったのに…

スピンエコーは前もって準備もできていたのでそれほど問題もなく立ち上がった。小角は装置を立ち上げてもらいながら、立ち上げの手順等を見ていた。日本でやっていたのとそれほど違わない。で、8時頃から測定開始となった。いくつか問題点もあったのでそれらの対処をし、朝までのシークエンスをかけ終わったら12時を過ぎていた。

夕方からとんでもなく忙しくなった一日だった。

パソコンの方は、無事にHDDを取り出せたとの連絡があった。明日受け取ってバックアップをとる事になるだろう。

2008年10月27日月曜日

MacBook Pro

アメリカに来た時に、今のボスが買ってくれたMacBook Pro。今2年半使った事になります。この間、batteryを二回交換、電源アダプターを一回買い替えました。それ以外は、本当は、OSの再インストールをした方が良いんだけど、と思いつつ、無事に過ごしてきました。昨夜、娘を寝かす為に早めに就寝。そのため3時頃目が覚めてしまい、パソコンで遊んでました。すると、電源が突然切れる、という現象が発生。起動する。しばらくするとまたダウン。という事をしばらく繰り返す。本格的にヤバいと思い、いろいろそれらしいトピックスを別のパソコンで検索するも、全く同じ症例は簡単には見つからない。取りあえず、動いてる間にウィルスチェックとかしてみた。でも、途中でダウンする。調べてみると、どうやら、Logic boardか電源周辺の問題、つまりhard wareのトラブルらしい事がだんだん分かってくる。その頃夜があける。

とにかく出勤。どうしても必要なファイル(書きかけの原稿とか)を救出。先週末に測定したデータについてスピンエコーチームで議論。でも、僕のコンピュータが使えないので、細かい解析とかできない。欲求不満になりつつもなんとかかんとか結論めいた物にたどり着いたら、お昼になっていた。昼食後、近所のAbsolute Macというお店に行く。相談すると、やっぱりlogic boardかpower supplyだろう、ということ。この症状だと、Apple Careに送った方が良いとのこと。しかし問題がある。Apple Careに送るとHDDの中身が消えてしまう恐れがあるからバックアップしてあるか?という。全部は取れてないんだよなぁ…。お金もかかるみたいだし…。というわけで、一旦引き取って、職場に戻ってcomputer guyに相談してみることにした。すると、HDDを取り出してback upをとってみる、との心強いお言葉!当面、windowsでよければパソコンも貸し出すよとのこと。なので、後は任せてそれに乗っかる事に。彼の部屋から出ようとしたそのとき。思い出したかの様に、「あ、ちょっと待って!」「そういえば僕Mac持ってるよ」というわけで、僕が使える様に黒MacBookをセッティングしてくれた。wordやAIなども既にインストール済み。後はtexとigorとdaveをインストールすれば一通り使えそう!

というわけで、なんとか当面は生き残れそうだ。それにしても、修理するのかな?もしかしたら、新しいの買ってもらえたりして。買うんなら何にしようかな、と密かに調べ始める僕であった。

2008年10月23日木曜日

磁石

ここのところ、風邪をひいて体調を崩してしまい、夜は早寝をしていたので更新できずにいました。まだ完調にはなっていませんが、まぁ、随分良くはなりました。

今日の出来事をば。

実は昨日、とてもおかしなことに気がついた。今、ガイドホールはno magnetのはず。これは、スピンエコー装置が磁場の影響を受けやすいから磁場変化が完全にないようなサイクルをいくらか作りましょう、という申し合わせの上に出来たルール。昨日磁石を持って歩いていたら、スピンエコー以外のソースからびんびん磁場を感じるじゃないですか!最近、データがおかしくて、装置が壊れたのかと思っていたところ、誰かが磁場を出している。よくよく聞けば、4Tほど横磁場がかかっていて、しかもそれがスピンエコーから数メートルしか離れていない!あり得ない状況。これまで、本当に微弱な磁場変化に敏感になっていたのに、全く無視して突然どーんと横磁場かけられたらたまりません。でも、一定磁場だから良いじゃない?という風に思っている人もいるらしい。全然だめなんだよねー。

ということで、今日は少しテスト測定を実験に混ぜてもらったりして、影響についてチェックしたりした。はっきりとした事は言えないのだが、影響がある事はわかりそう。ということで、明日の話し合いではそれを使って影響ある事をはっきりと伝えなければ。

それ以外の時間は、高圧学会誌の原稿、波紋の原稿、KS君の論文原稿の修正を行ったり、ZY君の実験データ解析やdiscussionをしたりした。風邪ひいて本調子ではないもののやらなきゃならん事が一杯あるのであんまり休んではいられない。

2008年10月16日木曜日

いろいろ

午前中、ZY君の実験の経過について打ち合わせる。どうも、うまく行っていない。何が悪いのか、というのは大体わかっているのだが、それは装置の限界を意味している。どうしたものか。試料を変えてみてはどうか、とアドバイスする。夕方までに、論文をいろいろ調べて持って来たが、やはり、装置の限界を超えたものが多い。なかなか光明が見えてこない。

スピンエコー入門の原稿についてコメントを求めていたのだが、それに対する返事をもらっていた。でも、忙しくしていてゆっくり見られなかったこともあってお礼のメールをまだ書いていなかった。ということで、それに返事を書き、コメントを見て、修正について考え始めることにした。

高圧学会誌の原稿は何となく書けて来ているのだが、どうもシックリ来ない。そこで、図などをきちんと作って、共著者に送ってみる事にする。とはいえ、皆忙しいので、お忙しい方には最後に見てもらうことにして、原稿を送り、コメントを貰うことにした。それに伴い、来週月曜日の締め切りには間に合いそうにないので、担当者にその旨連絡した。

KM君の論文をPRLに投稿したと連絡があった。うまく行く事を祈る。

KS君の論文原稿を受け取り、いろいろコメントを記して返した。また、彼の先日のSANSデータの取り込みなどをした。

AFさんによれば、スピンエコー装置に若干トラブルがあるらしい。今週日曜日から僕が担当する実験が始まるのだが、夜中におこされるはめになりそうだ。早く治ると良いのだが。

2008年10月15日水曜日

高圧SANS実験

昨日から今日にかけてNG3で小角散乱の実験でした。KS君の加圧下臨界現象の実験。立ち上げは順調にいき、夜までは順調に行っている様に見えたのですが。途中で一度圧力のリークがあって、その後試料がおかしくなったようで、昨晩一晩頑張ったKS君の努力は徒労だったかもしれません。朝電話でおこされて、試料交換に向かい、最終的には1.5時間程でそれなりのデータを取る事ができました。いやぁ、焦りました。

一方、ZY君の実験はやはりまだ光明見えずで、なかなか苦しい所です。

そんなわけで、昨日から今日にかけてはほとんど実験でした。

今日の午後義弟妹がヒューストンへ帰って行きました。娘と同じ年頃の姪っ子と娘は仲良くなり、彼らを空港に送った後で、歩きながら、「なんだか涙が出て来た」と言った時には、僕がうれし泣きしそうでした。どんどん成長しているんだなぁ。

2008年10月13日月曜日

コロンバスデイ

アメリカの祝日はいろいろと不思議な感じです。

今日は、コロンバスデイでした。私の行ってる研究所はお休み。でも、雇用先の大学は休みではない。というわけで、今日は僕にとってはお休みではないけど、研究所の中は割と閑散としている。まぁ、そんな感じ。

で、朝から、AFさんが担当している実験の立ち上げを少し手伝い、いくつかアドバイスをした。
ZY君が朝から実験をしていたので、それの経過をいろいろチェック、アドバイス。しかし、最終的にうまく行かなそうな実験だなぁ、と言う感じ。
KS君の実験準備と、論文構成の話し合い。
自分の論文構想の打ち合わせをAFさんと。
インディアナ大学への報告書についてJSGさんと打ち合わせ。

など、まぁ、いろいろ打ち合わせたもんだ。

論文書かなきゃなぁ。。。

ところで、今日ヒューストンに帰る予定だった義弟妹は、義弟の風邪に伴い、延期となり、水曜日までいることになりました。

2008年10月11日土曜日

義弟妹来る

午前中、ZY君の実験についていろいろ打ち合わせたり、手伝ったり。
KS君の実験の打ち合わせ。
高圧学会誌の論文執筆。
AFさんとNSEの立ち上げについて打ち合わせ。
CKさんの学生さんとSANS及びNSEについてアドバイス。

中性子の施設ではガイドホールの拡張計画がありますが、10/10の金曜日には起工式がありました。Ground breakと言って、建物建てる所の土地にシャベルを入れる、というもの。最近我々の施設のdirectorになったRDさんの挨拶に始まって、最近我々の研究所のdirectorに昇格したPGさんの挨拶の後、元directorのJLさんのお話も聞いた。その後、PGさんとRDさんがGround breakして、皆で着工を祝した。

夕方、ヒューストンに住む義弟妹家族がDC観光にやって来た。空港まで迎えに行ったが、超渋滞で参った。ナントカ無事迎えも終わって良かった。彼らは土曜日DC観光、日曜日は我々と一緒に観光して、月曜日にヒューストンに戻ることになる。

2008年10月9日木曜日

ノーベル文学賞

ノーベル文学賞がフランスの作家、ル・クレジオ(ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオ)さんに授与されたそうです。勿論これについては何の蘊蓄もありません。。。はい。

ただ、ノーベル文学賞があるのなら、ノーベル音楽賞やノーベル映画賞があってもいいよなぁ、と思ったりして。

さて、ここ最近は物書きに勤しんでいるわけですが、今日は、

高圧学会誌の原稿書き
共同研究者の論文読み、コメント送り、BHさんに英文校正依頼
KS君の論文の進行具合チェック
ZY君の実験についての打ち合わせ
AFさんの小角散乱データ解析

などを行ないました。この中で最も力を入れたのが高圧学会誌の原稿書き。元々HSさんに打診されて書き始めたもので、最初は何書いていいかなかなか決まらなかったのだが、ようやく決まって来て、進む様になって来た。ただ、特集号の内容としてこれで良いのかどうか、若干悩まないではない。まぁ、兎に角締め切りの20日までに頑張って仕上げねばならぬ。

文学賞取れるくらいの文才があれば、悩まないだろうになぁ、と無い物ねだりの毎日である。

2008年10月8日水曜日

ノーベル化学賞

二日連続でノーベル賞のことについて触れるなんて、今まででは全くあり得なかったなぁ、と思いつつ。

今日は化学賞の発表で、見事、アメリカで長く研究を続けている下村さんが受賞されました。クラゲから蛍光物質を抽出して、蛍光タンパクを同定した、ということらしい。若い頃に頑張って85万匹のクラゲを捕まえて、蛍光物質を抽出したそうだ。

これって、何年かかったんだろう?とふと疑問に思った。今の時代、数年間をこのような事に没頭したとして、その研究を認めてくれる土壌があるだろうか?ということを考えた。とかく研究成果を求められる昨今。成果がなければ研究費ももらえる事もなく、周りからは成果を求められる。そんな逼迫した状況でそんな余裕のある行動なんてできっこないなぁ、と思えてならない。

日本を飛び出してアメリカで研究し、一度は助教授として日本に帰りながら「日本では好きな様に研究できないから」と言ってアメリカに戻ったそうだ。そして、今回の受賞。昨日の南部さんの言葉を聞いていたからでもないと思うが、日本の研究環境に比べるとアメリカの研究環境は、確かに何でも好きな様に出来る。

何故これほど違うのか?ノーベル賞とった人と比べちゃダメだけど、もしかして、僕ももし日本に帰ったとしたら、そう思ってしまうのだろうか?

日本の研究環境については、もう一回良く考え直した方が良さそうである。さもなくば、ますます「頭脳流出」が止まらないであろう。まして、海外から優秀な人材を日本に根付かせるなどと言う事は、かなり難しい事と心得るべきだと思う。

で、結局、海外から日本に来る人を優遇して、日本人を冷遇するという研究環境になって行く。

という、愚の骨頂だけは見たくない。

2008年10月7日火曜日

ノーベル物理学賞

今年のノーベル物理学賞は日本人三人の共同受賞ってことで、新聞を見ていると日本はかなり盛り上がっているようですね。アメリカでも「今年は日本人三人だな」とか、声かけられました。やっぱりノーベル賞は注目度が高い(って、当たり前か…)。三人のうちの一人はアメリカ国籍なんですね。日本で若くして教授になった後、渡米してアメリカできちんと立場を作った人。そして長年アメリカで過ごし、ノーベル賞までもらった。

比べちゃ駄目だけど、翻って自分を見てみる。
うーん。まだまだナーンもしてないなぁ。

新聞情報ですが、南部さんは言っています。アメリカは自由があると。確かに研究環境を考えると自由である。あんまりしがらみもない。やりたい放題と言えばやりたい放題。これって、慣れると多分病みつきになって、日本の様にしがらみが多いのはしんどくなるのかなー。と考えたりする。まぁ、どっちにも良い所も悪い所もあるわけで、何処が良いとかそんな贅沢な事は考えず、必要とされる所で精一杯頑張れと言う事だろうなぁ。まぁ、初志貫徹ってことで今後もそんな気持ちで頑張ろう、と。

ノーベル賞受賞発表の後でこんな事考える様になるなんて。僕も研究者になったんだなぁ、と思った今日でした。

いずれにせよ、今年のノーベル物理学賞は、とるべき人がようやくとった、ということで、目出度いなと。

2008年10月6日月曜日

原子炉起動日

今日は久しぶりに原子炉起動日です。日本に行って以来ですから、およそ2ヶ月ぶりの中性子。でも、スピンエコーは実験が出来ないのでまだ停止中。速度選別器起動して、過去のファイルを圧縮して、本日の作業終了。

午前中は、先週末に貰った宿題の続き。お昼前にリーダーに送った。

午後は、圧力学会誌の原稿書き。でも、なんだか余り気分が乗らない。ストーリーもはっきり決まらない。うーん。このまま消化不良をおこしながら書くことになるのだろうか。不安だ。でも、兎に角締め切りも近づいて来ているし書かなくっちゃ。

夕方散髪に行き、職場に戻ってからKS君と議論。論文書きの方向性について話し合った。大分練られて来た気がする。後は、うまく文章になると良いのだが、これがなかなか難しいのである。

2008年10月3日金曜日

磁場テスト

隣の装置がコイルの配置を変えたら、うちの装置が影響受けるじゃないか。

というわけで、どんな影響を受けるのか調べることになり、今日は朝からその作業。隣の装置に磁石乗せてもらって、うちの装置を操作しながら、磁石に電流流して、前回測定した様に調べてみると…

今まで見た事もないような大きな変化が見られてしまい、しかもそれを補正できない。何で?なんで?なぜー?

全く理由も見つかりやしない。と言う事で諦めました。今日は諦めました。これではどうにもなりません。どうやったら調べられるのか全くわかりません。AFといろいろ相談しながらやってみたが、二人とも撃沈。解決策が見つかりもせず困ったものです。暫くペンディングにして考えなければ。

さて、そうこうして夕方メールを見てみると、10/1に締め切りとしていた原稿の提出をお願いしますよ、というチームリーダーからのメール。そこに、僕の名前を発見。ん?こんな話知らない。ヨーク見てみると9/3付けで同じメールが届いている。が、そのときは出張などで余りまじめにメールを見てなかった頃。特に横文字は斜め読みしていたんだっけ。。。というわけで、完全に見落としていました。直ぐリーダーの所に行って、謝罪。ということで、自宅に戻って今日は一生懸命お勉強かつ文章書き。最近文章ばかりかいてるから少しは早く書ける様になったのだけど、なかなか大変だった。月曜日まで待ってくれることになったので、週末のうちにナントカ書き上げなければ。

2008年10月2日木曜日

入門講座

今日も朝から原稿とにらめっこ。最近実験やってないなぁ。。。

午前中は、AFさんの原稿を再度読んで、いくつか書き込みを入れて彼に渡した。

午後は、スピンエコー入門講座の原稿を再チェックして、長さを整え、意見を貰うために先達に送った。コメントを待つとする。

その後、KS君の論文について議論をして、一緒に中華料理を食べに行った。四川のお店で辛いのが美味しいお店。二人で泣きながら食べた。

2008年10月1日水曜日

もう10月

早いもので、もう10月になりました。今年も残り少なくなってきました。

さて、今日も朝から原稿の修正とAFさんの論文読み。AFさんの論文はしっかり書いてあっていいと思う。いくつかコメントを伝えて細かいところは明日原稿を渡すことにした。

自分の原稿は、随分減らすことができた。後少し1/4ページ程減らせば許容範囲ではなかろうか。その後はその原稿をいろんな人に見てもらうのだ。

VirginiaのMKさんが来ていた。今日からイギリスに行くらしい。その前に何か調べものか忘れ物で来ていたようだ。飛行機の時間が迫っていると言うのに、いろいろ日本での出来事などを教えてくれた。その後、バタバタと慌ただしく空港へ向かったようだ。また今度きた時にゆっくり話をしよう。

帰り際PBがやって来て、装置の事で少し打ち合わせをした後、妻が英会話教室に遅れない様に帰宅した。

帰宅後は子供たちと少し室内テニスをして遊んだ。