最近、更新を怠っておりました。ホテルのネットが遅くてストレスで。
UCANS-IIが終わった後やってた事をまとめると、
インディアナ大学に席をもらった。(もう返したけど)
PSさんとインディアナでの過ごし方について意見交換をする。予定している実験の試料のリストを渡したので、帰ってきたときには試料があるだろう。日本から改めて確認しなくては。また、秋に4人で講義を持ち回す事になったので、その準備も始めなくては。
論文の修正にいそしんだ。そして、今日再投稿までたどり着いた。結構バージョンアップできたと思うので、これでアクセプトされる事を期待。
ZY君の論文原稿の修正。これも、最終版に近いところまできたと思う。
THさんの申請書についてコメントをする。
TKさんとの共同研究の件で、解析を進め、議論を深めた。
などなど。TKさんとの研究の解析はもう少しやらなくてはならない事もわかったので、日本に行く飛行機の中で検討しよう。飛行機の中でもやる事がいろいろあるかも。
丁度日本は台風6号がきていますので、僕たちの飛行機が無事着陸するかどうか。まぁ、なんとかなると信じて。
2011年7月18日月曜日
2011年7月17日日曜日
2011年7月17日 A team that is now on top of the world.
New York Timesの締めくくりの言葉です。日本女子、本当によくがんばってくれました。おめでとう!
2011年7月9日土曜日
2011年7月9日 The Exotic Feline Rescue Center
ブルーミントンから西に約50分。Exotic Feline Rescue Centerという場所がありまして。
そこには、助け出されたcatがたくさん収容されているのです。クーガー、ピューマ、虎、ライオン、ボブキャットなどなどなど。猫だらけ。だけど大きいのです。彼らの生い立ちを聞くと、サーカスに飼われていて10年間太陽を見ていなかったらしいのとか、人に飼われていたのだけど大きくなりすぎたからレスキューセンターに送られたとか、とにかく何らかの所以により救出されて余生をそこで過ごしているのである。中には、別のレスキューセンターにいったん収容されたものの、そこでも不幸な生活に追いやられてしまったので、新天地を求めて現在のセンターにいるのとか。本当に近くでライオンや虎を見れるので、それはそれは貴重な経験をすることができました。
しかし、ずっと、人間のエゴに対する怒りだけは脳中を占めており、何故人間はそんな身勝手なことをするのだろうかと考えてしまう。アメリカにはこのようなセンターが他にもある訳で、「飼ってみたいから」「小さいときはかわいいから」とか、そんな理由で将来のことを考えず行動することには憤りを感じる。
その後、McCormic Creek State Parkに行き、昼食、ハイキングなどなど子供たちと時間を過ごした。
そこには、助け出されたcatがたくさん収容されているのです。クーガー、ピューマ、虎、ライオン、ボブキャットなどなどなど。猫だらけ。だけど大きいのです。彼らの生い立ちを聞くと、サーカスに飼われていて10年間太陽を見ていなかったらしいのとか、人に飼われていたのだけど大きくなりすぎたからレスキューセンターに送られたとか、とにかく何らかの所以により救出されて余生をそこで過ごしているのである。中には、別のレスキューセンターにいったん収容されたものの、そこでも不幸な生活に追いやられてしまったので、新天地を求めて現在のセンターにいるのとか。本当に近くでライオンや虎を見れるので、それはそれは貴重な経験をすることができました。
しかし、ずっと、人間のエゴに対する怒りだけは脳中を占めており、何故人間はそんな身勝手なことをするのだろうかと考えてしまう。アメリカにはこのようなセンターが他にもある訳で、「飼ってみたいから」「小さいときはかわいいから」とか、そんな理由で将来のことを考えず行動することには憤りを感じる。
その後、McCormic Creek State Parkに行き、昼食、ハイキングなどなど子供たちと時間を過ごした。
2011年7月8日金曜日
2011年7月8日 UCANS-II最終日
午前中で研究会は終了だった。
RIKENのcompact中性子源の話など、サイエンスへの拡張の話が中心だった。その中で、SESANSの理論的な解釈の話が面白かった。通常の散乱ではなかなか区別が難しい、相互作用の性質の問題や形状の問題などがSESANSを使うと直接的に見えてくる、という話で、それが事実ならとても有用な装置であると言える。それを確認すべく、一つアイディアが浮かんだので、RPさんに相談してみた。これまで考えてみなかったけど、できそうだね、ということで、9月以降に試してみることになった。楽しみである。
午後は、論文修正について検討した。再解析をしているのだが、どうやらあまり芳しい進展が見られなさそうだ、ということがわかった。という訳で、その旨の回答と、その他に指摘されていることについてうまく考えればいいのだろう、と思われる。
また、OYさんの論文がアクセプトになった、と昨日連絡があった。
RIKENのcompact中性子源の話など、サイエンスへの拡張の話が中心だった。その中で、SESANSの理論的な解釈の話が面白かった。通常の散乱ではなかなか区別が難しい、相互作用の性質の問題や形状の問題などがSESANSを使うと直接的に見えてくる、という話で、それが事実ならとても有用な装置であると言える。それを確認すべく、一つアイディアが浮かんだので、RPさんに相談してみた。これまで考えてみなかったけど、できそうだね、ということで、9月以降に試してみることになった。楽しみである。
午後は、論文修正について検討した。再解析をしているのだが、どうやらあまり芳しい進展が見られなさそうだ、ということがわかった。という訳で、その旨の回答と、その他に指摘されていることについてうまく考えればいいのだろう、と思われる。
また、OYさんの論文がアクセプトになった、と昨日連絡があった。
2011年7月7日木曜日
2011年7月6日水曜日
2011年7月6日 UCANS-II一日目
今日から本格的な会議。この会議は、小型の中性子源を作りましょう、という考えに賛同する、あるいは既に稼働している大学などの人たちが集まって小型中性子源の現状と将来について考える、というものである。Indiana大学にはLow Energy Neutron Sourceという陽子加速器をベーストした線源があり、今回のホストである。僕も一応インディアナのメンバーということで参加には何の支障もなかった。参加者は、アメリカ、イタリア、韓国、スペイン、中国、ドイツ、日本などからきている。これまで大型施設で働いてきたので小型の線源についてはあまりよく知らなかったのだが、今日一日朝から夕方までみっちりと話を聞いたらいろいろと勉強になった。それに、日本から参加されているKHさんが隣に座っていたので講演終了後すかさず日本語での解説も聞けてよりよくわかった。
明日以降もまだこの手の話が続く。久しぶりに装置、それも線源にまつわる話が聞けて楽しい時間を過ごしている。
明日以降もまだこの手の話が続く。久しぶりに装置、それも線源にまつわる話が聞けて楽しい時間を過ごしている。
2011年7月5日 UCANS-II
今日からUCANS-II(The Union for Compact Accelerator-Driven Neutron Source)が始まる。子供たちはサマーキャンプへ出かける。UCANSは夕方からreceptionだけ。ということで、日中は久しぶりに原稿修正などデスクワークにいそしんだ。
夕方Indiana大学のIndiana Memorial Unionで行われたreceptionに行ってみる。日本からも北大や理研を中心に10人程度参加されていて、久しぶりに日本の情報などを伺った。
夕方Indiana大学のIndiana Memorial Unionで行われたreceptionに行ってみる。日本からも北大や理研を中心に10人程度参加されていて、久しぶりに日本の情報などを伺った。
2011年7月5日火曜日
2011年7月4日 独立記念日 in Indiana
今日はアメリカ独立記念日。
朝から仕事。最近進んでいない仕事があるのでとにかく集中して仕事。でも、子供たちは部屋で集中して何かを続けるのはとても難しい。とにかく、原稿の修正を行い、ホテルのフロントに頼んでプリントしてもらったところであきらめて、午後はプールで遊ぶ。
夕方6時過ぎから花火会場へ。4時間近く待ってようやく花火が始まる。アメリカで今まで見た中では最も花火らしい花火だった。
朝から仕事。最近進んでいない仕事があるのでとにかく集中して仕事。でも、子供たちは部屋で集中して何かを続けるのはとても難しい。とにかく、原稿の修正を行い、ホテルのフロントに頼んでプリントしてもらったところであきらめて、午後はプールで遊ぶ。
夕方6時過ぎから花火会場へ。4時間近く待ってようやく花火が始まる。アメリカで今まで見た中では最も花火らしい花火だった。
2011年7月3日日曜日
2011年7月3日 Bluespring caverns
午前中は、知的作業をすることにして、みんなでそれぞれお勉強。
午後、さすがに子供たちがやかましくなってきたので、どこかでかけられるところを探す。30-40分程度の位置にまたしても洞窟を発見。ボートライドができるらしい、ということで、プールに入りたいとか言い続けてる子供たちを車に詰め込んで行ってみた。
こじんまりとした小屋がその入り口であった。Bluespring cavernsという名のこの洞窟は、その昔、といっても40数年前までは湖の底に眠っていた。ある年洪水が発生し、一夜にして、湖の水がなくなった。そしてそこにはぽっかりと洞窟が顔を現していたのだそうだ。
洞窟に入ると、ここもひんやりしていて気持ちいい。すぐに水面が見え、ボートが浮かんでいる。ボートに乗り込み1時間ほどのボートライド。洞窟の中をガイドが案内してくれるのだが、南部訛が強すぎて半分くらいしかわからなかった。洪水によって作られた洞窟だけど、カルスト地らしく、鍾乳石が成長していた。洞窟内で電気を消しての完全な暗闇や電気とともに音も消した完全なる静けさも体感させてくれた。
ブルーミントンから1時間足らずのこの場所はもしブルーミントンに訪れたなら、一度行ってみてもいいところかもしれない。
夜、花火が計画されているので出かけたのだが、途中でものすごい雲と雷が見えたので急遽引き返す。ホテルに戻ったら土砂降りとなった。行かなくてよかった。
午後、さすがに子供たちがやかましくなってきたので、どこかでかけられるところを探す。30-40分程度の位置にまたしても洞窟を発見。ボートライドができるらしい、ということで、プールに入りたいとか言い続けてる子供たちを車に詰め込んで行ってみた。
こじんまりとした小屋がその入り口であった。Bluespring cavernsという名のこの洞窟は、その昔、といっても40数年前までは湖の底に眠っていた。ある年洪水が発生し、一夜にして、湖の水がなくなった。そしてそこにはぽっかりと洞窟が顔を現していたのだそうだ。
洞窟に入ると、ここもひんやりしていて気持ちいい。すぐに水面が見え、ボートが浮かんでいる。ボートに乗り込み1時間ほどのボートライド。洞窟の中をガイドが案内してくれるのだが、南部訛が強すぎて半分くらいしかわからなかった。洪水によって作られた洞窟だけど、カルスト地らしく、鍾乳石が成長していた。洞窟内で電気を消しての完全な暗闇や電気とともに音も消した完全なる静けさも体感させてくれた。
ブルーミントンから1時間足らずのこの場所はもしブルーミントンに訪れたなら、一度行ってみてもいいところかもしれない。
夜、花火が計画されているので出かけたのだが、途中でものすごい雲と雷が見えたので急遽引き返す。ホテルに戻ったら土砂降りとなった。行かなくてよかった。
2011年7月2日土曜日
2011年7月2日 Lincoln Boyhood National Memorial Park
今週末は、Independence Day (7/4)を祝う週末で、3連休。さて、何をしましょうか。
ブルーミントンから車で2時間ほどの場所に、Lincoln Cityという町があり、ここに、Lincoln Boyhood National Memorial Parkがある。Lincolnとは言わずと知れた、アメリカ16代大統領Abraham Lincolnのことである。子供たちが学校でよく習ってくる大統領の一人である。
1809年にKentuckyで生まれたAbrahamは1816年にIndianaに移住する。1830年までの14年間、7歳から21歳の期間をIndianaで過ごしたのだそうだ。このnational parkはその土地に作られたものである。Lime Stoneで作られた奇麗なvisitor centor、Abrahamの母Nancyとその他Indianaのpioneerを祀ったPioneer Cemetery、遊歩道、Abrahamの時代を再現したFarmなどからなり、Abrahamの幼年期を考えるによい場所である。Visitor centerでは30分おきに映画が上映され、AbrahamがIndianaで過ごした期間の歴史的背景が説明される。母Nancyは賢くて優しい母であったのだが、White snake-root plantと言う有害な草を食んだ牛から採取された牛乳を飲み、帰らぬ人となる。この頃の人々はmilk sicknessと呼んだそうだ。その後、父ThomasはKentuckyから新たな妻Saryをめとり、小さな小屋に8人での生活を送ることとなる。Saryには3人の子があり、Abrahamと姉のSarah、いとことの共同生活ということになる。Abrahamはこの地で、父の手伝いをすることで農夫、あるいは大工としての能力を身につける。青年になったAbrahamはOhio riverを往来する船に乗り遅れた人を運ぶことで重要な生活の糧を得ていたらしい。Ohio riverの渡し船を経営する陣営からこれをねたまれ訴訟を起こされる。その法廷でAbrahamは「自分は渡し船などしていない。川の真ん中まで船をこぎだしただけだ」と主張し、これが認められたのだそうだ。若い頃から知的な一面とユーモアを持った人物であったらしい。彼は本を読むのが好きで、その当時高価であった本、身の回りで目にすることのできた本はすべて呼んだのだそうだ。George Washingtonの伝記を読んで感動したりしたそうだ。さらに、初めて訪れたNew Orleansで奴隷売買を目の当たりにし、人類の平等を考えさせられるきっかけとなったのもこの頃のことだそうだ。その後、1830年にIllinoiに移住し、1861年に大統領となりWashington DCに移ることとなる。1865年の4月に暗殺されるまで大統領としてリーダーシップを発揮したとのこと。そのリーダーシップはこの頃のパイオニア精神が大きく関わった、という説明であった。
日本でもAbraham Lincolnのことは学ぶし、伝記も読んだはずだ。でも、このような土地でその人の生い立ちを目の当たりにすることによる新鮮な感覚は、何か代え難い示唆を与えてくれるような気がする。貧乏な家庭で育ったAbrahamがアメリカの大統領として1800年代に大統領足り得たことを考えると、日本の貴族制度や将軍の世襲制、ひいては現在の政府のていたらくと鑑みても重要な歴史的事実と考えることができるのではないか。リーダーシップとはパイオニア精神の現れであり、研究者として活動する自分もパイオニア足り得たいと思いを新たにするのであった。また、これを見た子供たちが何かを感じてくれていたらそれもまた何者にも代え難い。
夕方は近くの大学キャンパスで行われた花火大会を見物に行く。153発までは間延びした花火であった。その後連射があり、それでおしまい。やっぱり日本の花火が懐かしい。
ブルーミントンから車で2時間ほどの場所に、Lincoln Cityという町があり、ここに、Lincoln Boyhood National Memorial Parkがある。Lincolnとは言わずと知れた、アメリカ16代大統領Abraham Lincolnのことである。子供たちが学校でよく習ってくる大統領の一人である。
1809年にKentuckyで生まれたAbrahamは1816年にIndianaに移住する。1830年までの14年間、7歳から21歳の期間をIndianaで過ごしたのだそうだ。このnational parkはその土地に作られたものである。Lime Stoneで作られた奇麗なvisitor centor、Abrahamの母Nancyとその他Indianaのpioneerを祀ったPioneer Cemetery、遊歩道、Abrahamの時代を再現したFarmなどからなり、Abrahamの幼年期を考えるによい場所である。Visitor centerでは30分おきに映画が上映され、AbrahamがIndianaで過ごした期間の歴史的背景が説明される。母Nancyは賢くて優しい母であったのだが、White snake-root plantと言う有害な草を食んだ牛から採取された牛乳を飲み、帰らぬ人となる。この頃の人々はmilk sicknessと呼んだそうだ。その後、父ThomasはKentuckyから新たな妻Saryをめとり、小さな小屋に8人での生活を送ることとなる。Saryには3人の子があり、Abrahamと姉のSarah、いとことの共同生活ということになる。Abrahamはこの地で、父の手伝いをすることで農夫、あるいは大工としての能力を身につける。青年になったAbrahamはOhio riverを往来する船に乗り遅れた人を運ぶことで重要な生活の糧を得ていたらしい。Ohio riverの渡し船を経営する陣営からこれをねたまれ訴訟を起こされる。その法廷でAbrahamは「自分は渡し船などしていない。川の真ん中まで船をこぎだしただけだ」と主張し、これが認められたのだそうだ。若い頃から知的な一面とユーモアを持った人物であったらしい。彼は本を読むのが好きで、その当時高価であった本、身の回りで目にすることのできた本はすべて呼んだのだそうだ。George Washingtonの伝記を読んで感動したりしたそうだ。さらに、初めて訪れたNew Orleansで奴隷売買を目の当たりにし、人類の平等を考えさせられるきっかけとなったのもこの頃のことだそうだ。その後、1830年にIllinoiに移住し、1861年に大統領となりWashington DCに移ることとなる。1865年の4月に暗殺されるまで大統領としてリーダーシップを発揮したとのこと。そのリーダーシップはこの頃のパイオニア精神が大きく関わった、という説明であった。
日本でもAbraham Lincolnのことは学ぶし、伝記も読んだはずだ。でも、このような土地でその人の生い立ちを目の当たりにすることによる新鮮な感覚は、何か代え難い示唆を与えてくれるような気がする。貧乏な家庭で育ったAbrahamがアメリカの大統領として1800年代に大統領足り得たことを考えると、日本の貴族制度や将軍の世襲制、ひいては現在の政府のていたらくと鑑みても重要な歴史的事実と考えることができるのではないか。リーダーシップとはパイオニア精神の現れであり、研究者として活動する自分もパイオニア足り得たいと思いを新たにするのであった。また、これを見た子供たちが何かを感じてくれていたらそれもまた何者にも代え難い。
夕方は近くの大学キャンパスで行われた花火大会を見物に行く。153発までは間延びした花火であった。その後連射があり、それでおしまい。やっぱり日本の花火が懐かしい。
2011年7月1日金曜日
2011年7月1日 移動日
昨日の計算が間違っていたことに気がつき、目が覚める。起き抜けに修正し、PBさんに送信し直した。単に、単位を間違えていただけなので本質的には問題がないのだが。で、テネシーからインディアナに移動するので、途中に何か面白そうなものがないか探し、洞窟を見つけたので、必要な時間を計算し、早速全員を起こし、朝食、チェックアウトを済ませ、出かけようとした。家内が一カ所電話して支払いについて確認してくれ、というので、電話して詳細を聞いてみた。請求額が思っていたより高かったのだが、それはearly termination feeつまり、契約の早期解除によって発生するとのこと。契約期間は2年、ということなのだが、そんなことは聞いていなかった(契約していたのはおよそ半年だが、半年前には家を変わることはわかっていた)ので、その旨伝える。しばらくやり取りした後、160ドルくらい請求されていたものが、4.12ドル、ということになった。不思議。
とにかく、ホテルを後にし、ケンタッキーを目指す。目的地は、Mammoth Caveである。この洞窟は、なんと530km以上にわたって洞窟がつながっているそうで、世界一の長さを誇るのだそうだ。世界遺産にも指定されているとのこと。ちょっと遠回りすれば見れるので、行かない手はない。4時間ほどのドライブで到着。
本当は、Frozen Niagaraとかいうツアーに参加したかったのだが、チケットは売り切れ。その他のツアーは時間的にあわなかったりした。係の人がdiscovery tourなら無料で洞窟に入れるよ、というので、それに行くことにした。アメリカではこれまでもいくつか洞窟に入ってきたのだが、洞窟特有のひんやりとした感覚に出会うことはまだなく、ここもそんなもんだろう、と高をくくっていた。ところが、洞窟入り口に近づくにつれてひんやりとした空気が。これは期待できるぞと、中に入ってみると、かなりひんやりと気持ちいい。
この洞窟は、4000年ほど前にネイティブアメリカンが発見し利用していた痕跡が発見されているとのことで、古くからこの地域では知られている。掲示によると、325億年前Late Misissippian Periodには北アメリカ大陸のケンタッキー州のあたりは南緯10度程度に位置していたらしい。ancient Missouri river(だっけ?)が石灰岩や粘土層を削り、このような洞窟が形成されたとのこと。日本でおなじみの鍾乳洞のように上からしみ込んだ水によって削られた訳ではないので、鍾乳石などは見かけられない(場所によってはあるらしい)が、石灰岩、この辺りではLime Stoneと呼ばれる岩、が広く削り取られ地底都市建設もできそうな空間が広がっていた。なかなか見応えのある洞窟で、1時間程度の散策では物足りなかった。移動の途中ということでこれであきらめたが、また訪ねるべき場所と思う。なかなかよい経験であった。
Lime Stoneという岩はインディアナで特産と聞いていたのだが、どうやらケンタッキーからインディアナに至る広い地域で産出されるもののようで、この岩を使って作られた家は、ベージュ系(?)の色合いできれいだ。
とにかく、ホテルを後にし、ケンタッキーを目指す。目的地は、Mammoth Caveである。この洞窟は、なんと530km以上にわたって洞窟がつながっているそうで、世界一の長さを誇るのだそうだ。世界遺産にも指定されているとのこと。ちょっと遠回りすれば見れるので、行かない手はない。4時間ほどのドライブで到着。
本当は、Frozen Niagaraとかいうツアーに参加したかったのだが、チケットは売り切れ。その他のツアーは時間的にあわなかったりした。係の人がdiscovery tourなら無料で洞窟に入れるよ、というので、それに行くことにした。アメリカではこれまでもいくつか洞窟に入ってきたのだが、洞窟特有のひんやりとした感覚に出会うことはまだなく、ここもそんなもんだろう、と高をくくっていた。ところが、洞窟入り口に近づくにつれてひんやりとした空気が。これは期待できるぞと、中に入ってみると、かなりひんやりと気持ちいい。
この洞窟は、4000年ほど前にネイティブアメリカンが発見し利用していた痕跡が発見されているとのことで、古くからこの地域では知られている。掲示によると、325億年前Late Misissippian Periodには北アメリカ大陸のケンタッキー州のあたりは南緯10度程度に位置していたらしい。ancient Missouri river(だっけ?)が石灰岩や粘土層を削り、このような洞窟が形成されたとのこと。日本でおなじみの鍾乳洞のように上からしみ込んだ水によって削られた訳ではないので、鍾乳石などは見かけられない(場所によってはあるらしい)が、石灰岩、この辺りではLime Stoneと呼ばれる岩、が広く削り取られ地底都市建設もできそうな空間が広がっていた。なかなか見応えのある洞窟で、1時間程度の散策では物足りなかった。移動の途中ということでこれであきらめたが、また訪ねるべき場所と思う。なかなかよい経験であった。
Lime Stoneという岩はインディアナで特産と聞いていたのだが、どうやらケンタッキーからインディアナに至る広い地域で産出されるもののようで、この岩を使って作られた家は、ベージュ系(?)の色合いできれいだ。
2011年6月30日 実験終了
ビームは午後4時まで出るのだが、装置は今はまだ建設中の段階なので調整を行いたいということで我々の実験は午前8時に終了。
午前中は、PBさんとAHさんと議論。論文の内容でPBさんからいろいろ突っ込まれる。間違ってはいないのだが、曖昧だという点を指摘され、納得してしまう。もう一度考え直した結果、よりしっかりした解釈にたどり着く。やっぱり人と議論することは大切なことだ。それをもとにもう一度計算を行ったところ、結構きれいになった。夕方PBさんに計算結果を送る。
午後はMOさんのオフィスで実験データの解析。データのばらつきが大きくて悩む。MSさんも交えてデータ解析について確認。結局バックグラウンド補正のプログラムがうまく働いていないのではないか?という結論に。バックグラウンド補正前のデータを持ち帰ることにする。彼らがプログラムを書き直してうまく計算できたら新しいデータを送ってくれることになった。もしかすると、パルス故の未解決問題をはらんでいる可能性があるのではないか、という気がする。解析ソフトはユーリッヒスタイルを踏襲していた。0からの構築ということでいろいろ試行錯誤があったようであるが、ここまでできるようになったのは努力の結果であろう。まだバグフィックスしながらの運用だけど、かなり実用に堪えつつある。AFさんが先日実験をしてデータを持ち帰り、デーブでの読み込みをしようとしている、ということなので多分、そちらも利用できるようになるのだろう。
AHさんは4時頃帰宅の途に。その後、MOさんとPBさんと今後のスケジュールの話をする。結果9月の初旬に再度ビームタイムをくれることになった。前半は日本、後半はインディアナにいる予定の僕は、日本からはスカイプ参加。アメリカに戻った後、もし実験状況が僕がいないとどうもならないなら、行かないと行けないのかも?もっとも、そんな状況はほぼないと思うけど。
今回の実験の感想を列挙すると、
線源は不調であった。
試料が今まで知らなかった振る舞いをする可能性があることに気がついた。
装置の強度は、普段使っているものとそんなに変わらない(800kW程度)。少なくとも全体の測定時間はあまり変わらない。今の最高出力になると若干こちらの方が強いということになる。線源強度に応じて今後まだ強くなり得る。
建設中の装置だが、随分使えるようになっており、まだいろいろ調整や修正が必要だろうが、一年後にはかなりなじんでいるのではないか、という印象を受けた。また使いにこよう。
パルスなりの測定の難しさがあるように感じた。測定の経験を積む必要がありそうだ。
データは使えるようになるであろう。初めてのパルス実験でいろいろ試みてみたが7割程度は成功、としてよいのではないかと思う。
晩ご飯はOutbackでマヒマヒを頼む。塩辛くて、家族で少しずつ分ける程度でちょうど良かった。肉はおいしかった。
研究所のホームページに、OYさん、MKさん、ANさんの写真が掲載されていた。かっこいいよ!日本の装置が動かないことに対するアメリカ側の計らいもあった実験なので彼らの感想が注目されたのであろう。コメントも掲載されていた。興味のある方は是非そちらも参照ください。それにしても、MKさんは以前もホームページに写真が掲載されていた。注目の実験研究者といえる。
午前中は、PBさんとAHさんと議論。論文の内容でPBさんからいろいろ突っ込まれる。間違ってはいないのだが、曖昧だという点を指摘され、納得してしまう。もう一度考え直した結果、よりしっかりした解釈にたどり着く。やっぱり人と議論することは大切なことだ。それをもとにもう一度計算を行ったところ、結構きれいになった。夕方PBさんに計算結果を送る。
午後はMOさんのオフィスで実験データの解析。データのばらつきが大きくて悩む。MSさんも交えてデータ解析について確認。結局バックグラウンド補正のプログラムがうまく働いていないのではないか?という結論に。バックグラウンド補正前のデータを持ち帰ることにする。彼らがプログラムを書き直してうまく計算できたら新しいデータを送ってくれることになった。もしかすると、パルス故の未解決問題をはらんでいる可能性があるのではないか、という気がする。解析ソフトはユーリッヒスタイルを踏襲していた。0からの構築ということでいろいろ試行錯誤があったようであるが、ここまでできるようになったのは努力の結果であろう。まだバグフィックスしながらの運用だけど、かなり実用に堪えつつある。AFさんが先日実験をしてデータを持ち帰り、デーブでの読み込みをしようとしている、ということなので多分、そちらも利用できるようになるのだろう。
AHさんは4時頃帰宅の途に。その後、MOさんとPBさんと今後のスケジュールの話をする。結果9月の初旬に再度ビームタイムをくれることになった。前半は日本、後半はインディアナにいる予定の僕は、日本からはスカイプ参加。アメリカに戻った後、もし実験状況が僕がいないとどうもならないなら、行かないと行けないのかも?もっとも、そんな状況はほぼないと思うけど。
今回の実験の感想を列挙すると、
線源は不調であった。
試料が今まで知らなかった振る舞いをする可能性があることに気がついた。
装置の強度は、普段使っているものとそんなに変わらない(800kW程度)。少なくとも全体の測定時間はあまり変わらない。今の最高出力になると若干こちらの方が強いということになる。線源強度に応じて今後まだ強くなり得る。
建設中の装置だが、随分使えるようになっており、まだいろいろ調整や修正が必要だろうが、一年後にはかなりなじんでいるのではないか、という印象を受けた。また使いにこよう。
パルスなりの測定の難しさがあるように感じた。測定の経験を積む必要がありそうだ。
データは使えるようになるであろう。初めてのパルス実験でいろいろ試みてみたが7割程度は成功、としてよいのではないかと思う。
晩ご飯はOutbackでマヒマヒを頼む。塩辛くて、家族で少しずつ分ける程度でちょうど良かった。肉はおいしかった。
研究所のホームページに、OYさん、MKさん、ANさんの写真が掲載されていた。かっこいいよ!日本の装置が動かないことに対するアメリカ側の計らいもあった実験なので彼らの感想が注目されたのであろう。コメントも掲載されていた。興味のある方は是非そちらも参照ください。それにしても、MKさんは以前もホームページに写真が掲載されていた。注目の実験研究者といえる。
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